元訓練生として名乗りを上げて、被害の実態を言っただけで、

犯罪者や落ちこぼれ扱い、社会に迷惑をかけていると言われては、

挙句の果てに人格を否定し、存在事、抹消させようとしたのが、

戸塚ヨットスクールの支持者と信者である。

 

悪い部分を何が何でも潰したいようです。

 

さらには、元訓練生の被害者に暴言や罵声をする、

ネットユーザー(特にYouTube)で、極めて目立ちます。

 

そんな、元訓練生は信者や支持者と言い争っています。

 

元訓練生で被害に遭ったからこそ、奴等の裏の顔を知っているのです。

 

信者や支持者が知る由も無い、裏の顔を知っているからこそ、

違和感と異常性に気が付くのです。

 

私は過去に元訓練生とやり取りしていましたが、

奴等の裏の顔を知りかけました。

 

奴等の言う事は正論で正しいと常に思いこんでいた時期がありました。

そう。私はかつて信者でした。一か月ほどで終わりましたが、

熱心に崇拝していた時期がありました。

 

しかし、元訓練生とのやり取りで考えを改めつつあり、今に至ります。

O君の遺体所見(裁判・報道に基づく)

 外傷の数: 144箇所の外部損傷(打撲・あざ)。

 歯の損壊: ワイヤーの歯列矯正器具が口の中にめり込み、

喉の方まで押し込まれていた(激しい顔面殴打の証拠)。 

内出血: 全身に多数の内出血。

特に打撲が集中した部位で筋肉・内臓へのダメージが蓄積。 

全体の状態: 繰り返しの暴行(拳・蹴り・竹刀・舵棒=角材)

による多発外傷。顔色が悪く、衰弱が激しく、

病院到着時すでにショック状態が進行。治療しても回復せず死亡。

 

 死因:外傷性ショック(打撲の積み重ねで体全体の循環不全)。

 

 

どう見ても藁を置いたレベルじゃないですよね。

戸塚氏は自分が法律になってしまってる。 

 

親(母親)の反応 事件直後 息子の死を聞いた母親はショックで、

棺にとりすがる姿が当時の週刊誌(FOCUS 1982年12月24・31合併号)に写真で報じられた。 

 

遺体は直接見せてもらえなかった(病院・警察側の配慮か、損傷が激しすぎたため)。

 

カルテや医師の説明で「あまりにも惨い状態だった」と知り、強い衝撃を受けた。 

戸塚宏を賞賛している人が大多数なのが非常に気持ちが悪い。

裁判記録を見て欲しい。 確かに今の教育はダメだし、体罰もある程度は必要かもしれないけど、

外傷性ショック死させる程の教育はやり過ぎだと思わないのか?

 

 裁判・法的対応 刑事裁判では遺族として積極的に証言し、傷害致死罪の立証に大きく貢献。

 一審(1992年名古屋地裁)で戸塚に執行猶予判決が出た際、悔しさを隠せなかった。

 民事訴訟(1990年代):母親が戸塚校長ら7人とスクール側を提訴、

総額約4000万円の損害賠償を請求。 → 1996年2月19日名古屋地裁で勝訴

(暴行などの不法行為を認め、約2942万円の支払い命令)。

 

 母親の心情・発言 「息子は『身体を鍛えたい』と言って自分から行ったのに…」と、

入所を勧めた(または許した)ことを深く後悔。 「人の命をなんとも思わない暴力集団」と施設を強く糾弾。 

控訴審判決後には息子の遺影を持って記者会見し、遺族の無念を公に訴えた。

 病院側の対応(強心剤の投与量が通常の倍だったこと、カルテの矛盾など)にも疑問を呈したが、根

本原因は施設の暴行だと一貫して主張。

昔から一貫して自分と違う意見を言う者を下に見て話を聞こうともしないのが、

やべー奴だって物語っている。

 自分の考え以外は全て悪・無知って感じなんだろう。

 その結果、死亡者を出したんだろうな 殴らないと解らない奴がいるって言うけど、

暴力による上下関係は厳しい第三者の目がないと必ずエスカレートする。

特に自分が正義だと思ってる場合、加虐のブレーキが壊れる。

 

「ブレない」と言うのは、

刑務所に入っても反省していないということではないのか。

あの施設も、教育施設というより、実態としては民間の処罰施設に近い。

そこに子どもを預ける人も、思想に賛成していたというより、

他に行き場がなく、やむを得ず預けていたのでは。

つまり問題は、支援先や受け皿が足りないという社会制度の欠陥だと思う。

その意味では、障害者介護の負担に追い込まれて起きる悲劇と同じ種類の問題である。

戸塚宏が支持を増やしているのも、植松聖に共感するような層と重なるから。

 

悲劇を繰り返したくなければ、

これをれっきとした、社会制度の欠陥として焦点を当てないといけないと思う。

「体罰は是か非か」という曖昧な話に終始していては永遠に議論は尽きないし、

『右翼対左翼』や『ニューメディア対オールドメディア』のような政治的対立に帰着してしまうと、

何も改善しないと思う。よく言われる「喜んでいる家族」というのも、

健全な喜びではなく追い詰められた末の歪んだ安堵にすぎない。

民主主義が悪いのではなく、政権与党が悪いのでは?

と、よく言われるが違います。

 

民主主義の制度自体、日本人に合っていないからです。

 

アラブの春でアラブ人に民主主義が合わなかったのと同じで、

日本人に、こんな制度は無理である。

 

やれ、選挙だ。やれ、民主主義だと言って、喜ぶ輩が多い。

 

選挙で選んだ政治家達が、結局のところ、悪さばかりして、

その責任は、生まれたばかりの赤ちゃんから、

年寄りの方まで、皆、等しく責任が取られます。

 

何だったら、知らないと言い出す輩もいる。

 

だから、日本人に民主主義は無理なのです。

民主主義は欧米人に合った制度の為、

日本人の歴史の中に民主主義が無い以上、そんな制度は無理に決まっています。

この弁護士は、桜井誠さんを貶しては、戸塚宏を賞賛し、

核武装と厳罰の再稼働に否定的だと言う、オッサンです。

 

しかも、彼は桜井誠さんが何かしらの事件の弁護を依頼するために、

南出弁護士に依頼するはずでしたが、南出弁護士が断っては、

桜井誠さんを貶していたようです。

 

南出喜久治が何故、桜井誠さんを貶したのか?

インターネット上で検索しても出て来ません、

詳しい情報を持っている方は、コメント欄にて、

情報提供をお願いします。

 

個人的にも気になりますので…!

言ってる事は理解できるが、肯定はできない。 

当の本人達は、いじめがどう作用するかなんて考えちゃいない。

子供ながらに持つ攻撃欲求をあれこれ理由つけて発散してるだけなのを、

結果的に成長するのだからヨシとするのは些か乱暴な結果論のように思える。

 そんな繊細にいじめをコントロール出来たら苦労しないんよ。

 石原慎太郎との会話から見ても戸塚宏は何かと、

自分が弱者だと認定した者を淘汰する事は正しいとしたがるよね。

そこが奴等の怖いところ。

 

信用信頼って大事だね。どんなに綺麗な言葉を並べる奴等より、素晴らしくても、

この人のした結果が全てを語ってる。この言葉の上に、

結果傷害致死罪という言葉がのっかってる。

 

これを納得するやつらも頭おかしい、

できないことがあって何が悪い、いじめや暴力を正当化する奴らは大概である。

 

結局、イジメは減らせるとしても一生、無くなりません。

禅問答のような喋り方は 意図的に上と下の立場を作り出す技法。 

相手に「自分はまだ分かっていない」 と思わせること 戸塚宏の語りも同じ構造。

 

 「君はまだ本当の知識を知らない」 「理屈で分かろうとするな」 

 

理解できないのは、相手の未熟さ という構図を作る。

 

 徹底的に意味を曖昧にして深そうに見せる これは奴の基本。

 

 このコメント欄で戸塚宏の支持をする人、 もしかして正しいのかもと興味を持った人、

 あなたはおかしくはない。だけど どうか騙されないで欲しい。

 答えかのような強い言葉を渇望する 不安な時代の若者は支持されやすい。

 

ちなみに本当の意味の大和魂を ここに記す。 これは事実のみを元に書く。

 「大和魂」言葉の初出は、「源氏物語」 

もともと世界の中心だった中国に対して、

大和絵、かな、という女性的で日本的な応用 のことを示していた。 

たったそれだけの意味。 時代と共にその言葉の意味は変わっていく。 

 

中世〜近世の 武士道・尚武 近代〜戦時の 国家精神・自己犠牲。

さらに遡って 神道・卑弥呼・日本の原初性 気づいたかな。定義が一貫していない。

 評価語であって、説明語ではない。 

 

「大和魂」は 良い、尊い 誇らしい 日本らしい という価値判断を含んだ語であって、

 何を指すかを説明しない。 中身を言わなくても、拍手が起きる言葉。

 これは、思想操作にとって理想的で 煙に巻く便利な言葉。

 

私もだが、結局、大和魂とは何かを説明できないね。

だから、認められない。また、縄文は、ヤマトではない。

差別、征伐しといて、その歴史まで奪うのが侵略者の手法。

 

これが、勝者が作る、勝者の特権。それが、デタラメかつ偽りの歴史である。

 

「大和魂は科学」とか言うと批判されるのは当然である。

大和魂は当然、日本人として持っておくべきものだとは思うが、

それで教育が行われたわけでもないし、勿論、科学でもない。

論理的な整合性があるとは言えない話の展開になってますよね。

 

 大和魂を辞世の句にした吉田松陰は、体罰よりも言葉と実践で生徒を導く教師でした。

 

 生徒にも教えを乞う姿勢を見せていたのは、

戸塚宏は違うタイプの先生だと思います。

 

 福沢諭吉は当時の日本においては、かなりリベラルだったと思いますし、

明治前半は「体罰は悪」という認識である。

 

また、戦前の体罰を元にした教育によっても凶悪事件は多数起きています。

 

戦前日本の教育現場では、

明治12年(1879年)の「教育令」から体罰は禁止されていました。

その後も、小学校令や国民学校令において、

学校の教員が児童に体罰を加えることを禁止する規定が引き継がれました。 

 

戦前における体罰禁止の歴史 

明治12年(1879年)教育令: 第46条で「生徒に体罰・殴打・拘束を加えることはできない」と規定されました。

 明治23年(1890年)小学校令: 第63条で小学校の校長や教員に体罰を加えることが禁じられました。

 明治33年(1900年)小学校令: 第47条で、懲戒権は認められつつも体罰は禁止されました。

 昭和16年(1941年)国民学校令: 第20条で、懲戒権の範囲内であっても体罰は禁止されました。

 

 

端的に言えば、明治維新から日本は衰退していたことが考えられる。

 

 

そもそも体罰が悪と言い切れない場面はあるかもしれないが、

体罰が善となることはないだろ。

あくまで次善の手段で、限りなく黒に近いグレーな行為、

暴力であることに変わり無いと思う。

それをニタニタ笑いながら自己肯定してるの気持ち悪い。

時代が云々とか言うてるけど、実際に人が亡くなるまで追い詰めた人間の口調や表情ではない。

体罰が愛から来るものみたいな言い方してるけど、

痛みで人を支配・洗脳してるだけやろ。こんなんが教育者名乗ってるの怖い程である。

 

その「体罰」を行使した結果、「進歩」させるはずの子供の命を奪った、

つまりは「停滞」させてる訳だから、結局のところ、

ただの暴力だったってことでは?

目的は良くても、やった結果がこれでは「体罰は善」とか言う話の説得力が一切無い。

 

体罰については特に何も語らない。自分は語れるような立場でもないし、

二人の娘がいても、他の人の子どもに向き合った事もないから。

 ただな、お前はなんだよ。お前はなんだ?? 善悪を語るとはおこがましい。 

善悪なんてこの世には存在しない。自然界にも昆虫にも動物にも善悪は存在しない。

 善悪は勝手に人が作るもんなんだよ。他人の善とお前の善は違う。

 悪もまた然り。 たかが小さな一つの生命体でしかないお前が、

なぜ勝手に全てを決定してるんだよ。傲慢過ぎる。 

その傲慢さを持った者が他人を導く事など絶対に出来ない。

 

刑務所で人が死んでも何も言わないのが、戸塚宏。

親が手に負えなくなったって手放してる子を引き取ってやってるはずだった。

批判対象を間違えないで欲しい。スクールに入る生徒の境遇や思考とか見たうえでの発言なのか?

 

 

令和ヨットスクールチャンネル運営の方へ、

 戸塚宏には体罰そのものについて、

具体的な説明を動画でしていただいた方がいいと思います。 

 

(説明が下手だから無理とは思いますが)

 

視聴者の一部が「体罰は善」「他人の利益のため」ということを勘違いして程度を誤り、

他人が怪我させたり最悪の場合、酷い虐待とか発生して、死人とか出てしまいます。

 

体罰をされる側の人についても、体罰が必要な他人と不要な人と居るんじゃないでしょうか。

 

逆効果になる人とか。 言葉足らずすぎて誤解が多くなるともったいないですよ。

 

 あと、視聴者として気になるのは過去の多くの事件のことです。

 

 昔の事なので知らない視聴者がほとんどです。

 

本を買って調べてまで知ろうとする人も居ないでしょう。

 

 訓練生の死亡に至るまでに実際には何があったのか、

戸塚宏ご本人が手を下したことなのかどうか、

動画でご本人の言葉で、その説明があった方がいいと思います。

 

無理は話とは思いますが。

まず戸塚ヨットスクールでは8人が死亡し、

その内体罰によって直接的に死亡し、6人が自殺または行方不明。

つまり自らヨットスクールから逃げました。 

体罰というのは進歩を目的とした有形力の行使と言っています。

さらに体罰は痛い→痛いから頑張る。これも似たような意味です。

痛いという感情は物に当たるだけで不快感を覚えるためいらないように思えますが、

痛いという感情は、亡くなる場合があるため、存在します。

 

つまり、痛いという感情は死にたくないという意思の表れでもあるわけです。

なので、体罰は死にたくないから頑張ると解釈することもできます。

 

なので、体罰は体罰を受ける側に死の恐怖を感じさせることができる、

痛みという感情を与えさせることが目的ということです。

 

 おそらく、戸塚ヨットスクールで

「親にも子供にも許可を取る→注意して何回も同じことを繰り返すなら後遺症の残らない太ももをたたく。」

もし、これが守られているなら、こんなことにはならなかったでしょう。

 

 しかし、問題は自ら死を選んだ6人のことです。

なぜなら死の恐怖を与えるどころか死を選んだほうがマシ、つまり死を超える恐怖を与えたことになるからです。 

 

そもそも、直接的に教育によって人が死亡するなら教育として破綻していますし、

教育によって自ら死を選ぶ教育方法が間違っていないわけがありません。

 

 戸塚ヨットスクールに入ってくる人は言葉が通じない人です。

その場合、ストレスがたまらないわけありません。

 

自分に死が迫っているときに言葉で止めることは無理なのはわかります。

しかし同時に、

「親にも子供にも許可を取る→注意して何回も同じことを繰り返すなら後遺症の残らない太ももをたたく。」

などのルールが使えるわけがありません。

 

例として蚊が耳の周りを常に飛び回っていたらイライラしますよね?

蚊を殺しても誰からも怒られない、誰にもばれない状況である。

かつ、蚊の後遺症が残らない部分を正確に殴れる機械があったとして、それを使いますか?

 

戸塚ヨットスクールでは相手は人間です。ストレスは蚊の比ではありません。

現に北朝鮮では人間に対しての殺戮を行っています。

 

三代に渡る、金一族の最高指導者のストレスが理由であったりなど様々ですが、

誰からも怒られない場合人間はこんなにも残酷になるのです。

 

戸塚ヨットスクールでは犯罪を許可していなくても、

体罰をすることを許可しています。

 

ストレスがたまっていてかつ相手にどんな力をふるっても怒られない。

こんな状況で暴力を振るわないわけがありません。

ならば、言葉通じる人に対してはストレスがたまらないので有効と思うかもしれませんが、

言葉が通じる時点で体罰ではなく言葉で会話できるので必要ありません。 

 

体罰以外の方法で教育できるかは不明ですが、現に8人死んでいるため、

この教育方法は間違っていると思います。

 

もはや、教育では無い。