「実践」経験の成果は? 

教育困難児が更生して真人間になったのは何人中何人で、

そうはならなかったのが何人で、過程で死んだのが何人?

 戸塚氏の自己申告はあるが、名古屋高裁判決では信用性をボロクソに言われている。 

もっとも、常識的に考えれば死人が出てる時点で論外で見直しが必要なわけだが、

この人にとっては、持論を見直すほどではない少しの失敗に過ぎないのだろう。

 結局、ロクにデータも示せず、単に自分の論を曲げられない片意地な性格が、

その年になっても変わらないだけの話ではないのか。

 ハラスメント加害者が、問題を抱える人たちや依存心の強い人たちから、

教祖や聖人君子のように崇められる関係はしばしば見られる。

 実際に有能で「この人のやり方は正しい」と周囲が思い込み、

当人も迷いなく自己正当化するため、信者もそれを真に受けて同調する。 

メディアも持ち上げるのはやめるべきだ。 オウム事件から何を学んだのか?

 

私は戸塚ヨットをかつて信奉していた者として、情けない限りだと感じている。

教育・心理・精神医学においては、

自己統制・規範の内面化・長期的な行動改善・学習促進について有効という証拠はなく、

心理・行動・学業面ではむしろ悪い結果との関連が一貫している。  

そもそも上記のような「効果の有無」から体罰が禁止されるのではなく

「倫理的問題」から禁止されている。  

子どもは契約をできない。

その子どもに「私を殴っていよい」という契約をせずに、

学校外では禁止の殴る蹴るを行う。学校という異常空間。  

戸塚の学校で少なくとも5名の子どもが◯害されれた。

今で言う発達障害(ADHDや軽度知的障害、自閉症)や精神疾患があった可能性。

うつ病で動けない子どもに殴る蹴る。  

現代は体罰ではなく、教員や心理士、精神科医、福祉士(家庭)等が一体となり対処する。

障害や精神疾患、心理、家庭環境にアプローチする方法。体罰より科学的なのだ。  

どうしてもやりたいなら自分の会社でやれ。泣き言は言わないように。

 

体罰以外にやりようがない!という奴らは、科学的アプローチについて一切勉強していない。

ただ殴りたい。スカッとしたいという幼稚さ。  

現代では、原因や背景に応じて対応するのが主流。

発達障害や精神疾患には薬物療法や心理療法、

しつけや問題行動には行動療法やペアレントトレーニング、

学習上の困難には教育的支援、家庭環境の問題には福祉や家族支援、

非行には再犯防止教育や社会復帰支援などが用いられる。

つまり、現代の基本は、行動の原因を見極め、本人に適切な行動を学ばせ、

必要に応じて環境も調整することであり、

体罰は標準的な教育・治療手段とはされていない。

教育現場から体罰が無くなって、かれこれ四半世紀、

その結果がこれだからね 平和教育じゃないけど、

何か社会全体が洗脳されてしまっている様なところがあって、

家庭でも体罰は減っていて、今では、親に殴られたことのない、

子供の方が多いんじゃないだろうか かと言って、

中学入学迄に、親がキチンと躾をして学校に送り出しているかといえば、

甚だ疑問な程。

体罰は容認するが、あまりオススメできず、推奨する訳ではないけど、

これからも教育現場での体罰を禁止していくのであれば、

他の生徒に迷惑をかける様な子は、義務教育であっても無期停学にして、

家庭に戻して、躾のし直しをしてもらうしかない程だ。

 

今は、モンスターペアレントや世間の声を恐れて、

生徒が起こした問題に対して弱腰な対応しかできない学校や、

児相連中や、教育委員会のニュースもよく耳にするし、

それに対するキャンセルカルチャー的な感じで、

戸塚宏の言動がウケてるんだろうな。

 かつては体罰容認派が主流だったけど、

今度はこっちがマイノリティになっているという逆転現象が起きてる。 

 

主流派の意見に対して逆張りで極端な意見を言えば注目や支持者が集まるのは、

YouTubeでもSNSでもどこでも同じ。 

 

「話せばわかる」なんていう理想論を信じる気は一切ないけど、

かつてのように体罰が当たり前の世の中になるのもそれはそれで嫌である。

 

 

ある方は語る。

 

自分が義務教育を受けてる間は、

体育教師に竹刀で叩かれながら育ちました。

そして今、教師ではなく教育委員会からの依頼による講師として、

児童・生徒を指導していますが、怒声を上げる事すら禁止されています。

戸塚氏の理念が理想とは思っていませんが、

今の教育現場が健全とも思ってません。その中間に近づきたいだけです。

 

以上。

本当にそうである。リベラルだろうが、戸塚宏だろうが、左翼だろうが、

今も昔も大概であることがよくわかるだろう。

 

しかしならば、戸塚宏のやり方の、一般化は不可能だろう。

いくら何でも角材で殴るなどという対応は人間には到底受け入れられるものではない。

あくまで超異常者向け。なんだか今の彼は勘違いしているのではないか。

一般化してしまっている状態が目立つのだ。

話せばわかると同じく、どっちもどっちだ。

 

太い角材でできた牢屋みたいな部屋を見て、

まだ小学生でもこの事件が残忍だと言う事が理解できました。

当時小学校でも体罰をやる教師はいました。

ある方は、その標的になり平手打ち、時には拳で殴られました。

以前Youtubeで戸塚ヨットスクールで検索し、

特集で戸塚ヨットスクール事件の動画を見ましたが、

この人をはじめスクールのコーチたちの暴力行為はとても指導という物ではなかったです。  

人を死に至らしめておいて、ネット上に出てくる。

本当に辞めてもらいたい。

「体罰を受けた人間は体罰をするようになる傾向が強い。」

これが体罰が否定されるべき大きな理由のひとつ。 

学校でも、家庭でも、会社でも、体罰が事件に繋がる例は後を絶たない。 

親から子、指導者から被指導者への、

体罰の連鎖を断ち切る社会的努力こそが求められている中、

体罰を肯定するかの如き議論が蔓延るのは、

当の本人たちが、その呪いのような連鎖から、

抜け出せていない事を示す証左である。

 

もし、対話で分かり合えるのならば、それに越したことはないのだけど、

明らかに相手側の姿勢に非があるにもかかわらず、

こちらの言うことを全く理解しようとせず、対話にならない人間がいることは確かである。

そういう時にどうすればいいのか。体罰的な行為で痛みを知ることによって、

こちらの主張をより真剣に受け止めてくれる場合もある一方で、

心を閉ざし、関係性がよりこじれてしまう可能性もあるから、

体罰で全てが解決するわけでは決してない。

ただ、人の本能として痛みを知ることで、

心に響き、何かを感じ取る側面は否定できないから、

ケースバイケースで有効に働くこともあるとは思う。

どれだけ言葉を尽くしても、分かり合えない場合の最終手段みたいなもの。

しかしながら、法律違反の犯罪行為であることに変わりは無いが、

おまけに、対話同様、むやみやたらオススメは出来ない。

 

極端な思想の大人と極端な行動をする子供の組み合わせにおいては、そうかもしれない。

 結果論として教師は支配をすることもあったり、

教育に上下関係が必要な場合もあるけれど、

単純な人は自分がそうなることだけをイメージして、

子供の顔や気持ちなんて見向きもしない人が、

こういう動画をありがたがる。 

話せばわかるってのも男性側の好きな論理だし、

男性の主張と男性の主張がぶつかっているだけのマッチポンプ。

 

もちろん「話せば分かる」とは限らない。

 だから問題を起こす生徒に対して、

出席停止などの強制力が必要となるケースはあるだろう。 

だが「体罰をすれば分かる」とも限らない。 

「話をしても分からない相手には暴力を振るっても良い」、

子どもがそう思い込んだまま大人になってしまったら、

ロクな人間にならないと思う。 また、ある程度は上下関係も必要だろう。

ただ、親、教師、上司が常に正しいとは限らない訳で、

間違ったことを上下関係を盾に従うよう強制されるべきではない。

 

「教育に上下関係が必要」と「教師は支配者であれ」は別の話。

教師に権威が必要だとしても、支配を正当化すれば歯止めがなくなる。

戸塚ヨットスクールでは実際に訓練生の死亡事件まで起きている。

おまけに、カルト連中とも絡んでいる。

「厳しい教育」で片づける前に、済ます前に、

力を持つ側が暴走したときの危険性こそ考えるべきでは?

 

話すり替えてるけど、現に今、自分が「正しい方法」を明確に再提示しているにもかかわらず、

「見つけられない」と言い訳をして、死者数の圧倒的な差(一緒じゃない事実)

から逃げ出すのですね。論理的に一切言い返せなくなると、

「迷惑」「返信不要」「謝罪しろ」

と関係のないマナー論や人格攻撃を並べ立てて、

強制的に話を終わらせようとする姿勢は、あまりに見苦しい敗走宣言です。

「指導者が暴力で直接命を奪う戸塚式」と「命を守る現代のシステム」を

無理やり同類に仕立て上げた、戸塚信者の暴論は、

最後まで1ミリも成立していません。

 

アプローチの調整ミスによる精神的ストレス」と、指導者が直接手を下す

「暴力での死亡事件(刑事犯罪)」を「加減を間違えたら同じ」

と一括りにするのは、

あまりに無理がありすぎますよ。 医療に例えるなら、

現代医学の薬も量を間違えれば副作用で苦しみますが、

だからといって、

「患者を殴り殺すオカルト呪術も、

加減を間違えたら苦しむのは同じだから全否定できない」

とは絶対になりません。

現代のシステムは、加減を間違えても子供を殴り殺すことなど、

100%ありませんよ。

それに、「変わり無い」などと、まだ言っているのですか?

戸塚宏のやり方の方が、明らかに死人を増やしますし、

暴力のトラウマによって苦しむ子供の数も圧倒的に増やしますよ? 

 

むしろ、戸塚ヨットスクールの支持者や信者が綺麗事を言ってる。

だから、なるべく死人の数を減らしていこうとするのが、

今の教育のはずです。

 

論理的に一切言い返せなくなったら、

ついに自分に対して「殺人者」などという常軌を逸した誹謗中傷を始める。

 完全に理性を失っていますね。自分が指摘しているのは、

「戸塚のやり方の方が明らかに死人を増やしますし、

暴力のトラウマで苦しむ子供の数も圧倒的に増やす」という、

数と安全性の圧倒的な差です。「今のやり方で救えない子をどう助けるか」

と話をすり替えていますが、

現代の医療や福祉のプロでも模索し続けている複雑な社会問題に対し、

一般の自分に向かって

「100%全員救える完璧な答えを出せ、出せないならお前も殺人者だ」

と極論をふっかけること自体、ただのタチの悪い言いがかりです。

「指導者が直接暴力を振るって子供の命を奪う戸塚式」を、

言葉のすり替えで必死に擁護し、

数字という客観的な事実から最後まで逃げ続けるのが、

戸塚信者と支持者である。

だから、戸塚信者と戸塚の支持者は異常の極であり、モラルが低すぎるのだ。

決定的な違いを無視しないでください。

現代のシステムで救いきれずに命を落とすケースがあったとしても、

それは社会的な「課題」です。一方で、戸塚式は指導者自身が「暴力(過酷な訓練や暴行)」

によって直接子どもを死に至らしめた刑事犯罪です。

「システムが救いきれなかった死」と、「暴力で直接奪った死」を同列に扱い、

「お前の理論でも死ぬだろ」と返すこと自体が、

明確な戸塚氏の正当化であり、命の軽視です。事実として自分は話をズラしていません。

「暴力で直接子供の命を奪うアプローチ(戸塚式)を絶対に肯定してはならない」

という命の最低ラインをずっと主張しています。 

 

「システムが救いきれなかった死」と、指導者が過酷な暴行によって

「直接命を奪った死(刑事犯罪)」を一緒にするのは、ただの犯罪の正当化ですよ。

現代の福祉や医療は一人の人間が独裁的に命を握るのではなく、

法に基づいて国や組織が責任を負う仕組みになっています。

指導者個人の暴力を肯定することと、

社会全体で命を守る仕組みを同類に扱うの論理は、あまりに命を軽視しすぎています。

また、自分は「暴力で子供の命を奪うアプローチを絶対に肯定してはならない」という、

命の最低ラインを指摘しているだけであり、教育者としての優劣などという話は、

一言もしていません。論理的に反論できなくなると、

すぐに「大した教育者ではない」などと人格攻撃に逃げるのは見苦しいので止めて欲しいところ。

 

「システムが防ぎきれなかった死」と、

指導者が過酷な暴行で「直接手を下して命を奪った死(刑事犯罪)」を「同じ死だから一緒」

と一括りにするのは、流石に無理がありすぎます。

 現代の福祉や医療の職員が、子どもを殴り殺すことなど絶対にありません。

命を救うために全力を尽くした結果の限界と、

指導者自身が暴力を振るって複数の死者・行方不明者を出した、

犯罪行為を「どっちも一緒」と言うのは、明らかにおかしいです。

 

 

体罰は人間が使ったら正しくならないということは分かります、

体罰自体は善何ですけど人間が使ったら悪になるということです。

 

自分が思う正しいやり方とは、恐怖ではなく

「環境を整えること」と「次にすべき行動を教えること」です。

ですが、余裕がなくてこれができていない親御さんがほとんどなのが現実です。

その結果、子どもがただ本能で動いているだけなのに

「親を困らせるモンスター」に見えてしまい、つい手をあげてしまうのだと思います。

体罰を受けて子どもが改心したり、大人が完璧に理性を保って一発だけで、

終わらせたりして「善」になるのは、アニメやフィクションの中だけのファンタジーです。

現実の人間が怒りに任せて手を出せば、

それはただの感情の暴発であり、虐待へ繋がるリスクしかないんですよ。

 

「100%全員を救えない手法は正しくない」という前提や、

「だから戸塚氏の手法も完全否定できない」という結論には、

論理的な飛躍があると言わざるを得ません。

そもそも、子どもの人権や主体性を尊重する「環境調整」と、

暴力や強制を伴う「戸塚氏の手法」は、教育としての前提が真逆であり、

根本的に矛盾しています。

これらを親や教育者が器用に「使い分ける」ことは、理論上不可能です。

なぜなら、一度でも恐怖や強制による支配(戸塚氏の方法)を混ぜてしまえば、

信頼関係をベースとした環境調整の機能はすべて破壊されてしまうからです。

「完璧な正解がない」ということと、「人道的に問題のある手法を肯定していい」

ということは、全く別問題です。全員を救える魔法のような方法がないからこそ、

自分たちは手法の有効性と安全性を検証し続けなければならないのであって、

そこに暴力を選択肢として残す理由にはならない。

 

そもそも、自分は戸塚はやりすぎだって言ってる。

死者を何人も出しているし、体に負荷を与え続けた、

結果「外傷性ショック」とかで死んだ人もいるし

、他にもそこまでやるかってことをしてるからね。 

せめて誰も死なない程度に行なえって思うんよ。 

それに、戸塚は体罰をやれって動画で押し付けてくるから、そこが一番おかしい。

 非行少年とかは言葉で言ってもそう簡単には通じなくなってるから、

暴力しかないって言うのはまだわかるけどね、

普通の子供にも体罰をしたほうがいいとか言ってるのが頭おかしいと思う。

 もし親が暴力を振ったとしてもそれがさらに反抗的になって、

悪化する可能性あるから、それはもう自己責任だが。

 

100%全員救う魔法のような理論がなかったとしても、

「少なくとも戸塚のように死者を何人も出さないようにすること」は十分に可能ですよ。

 教育や支援において、「全員を完璧に救えないなら、死者を出している手法と同類だ」

という極論は絶対に成り立ちません。100人が100人救えなくても、安全な方法で90人を救い、

残りの10人も命だけは守って次の専門的な支援に繋ぐ現代のアプローチと、

暴力によって物理的に命を奪うリスクのある手法の間には、

天と地ほどの差があります。「全員救えないなら議論は無駄」などと極論を言い、

実際に死者(外傷性ショック死など)を出している危険な手法を容認しようとする

論理は、命の重さをあまりに軽視している。

 

「100%完璧に救えなくても、子供の命を守る安全な方法を選ぶべきだ」

という命の最低ラインの話をしています。

それに対し、実際に死者(外傷性ショック死など)を出している手法と、

一人も死なさずに子供の命を守っているアプローチを、

無理やり「どちらも敗北」と同類に仕立て上げて本質から目を背けているのは、

戸塚ヨットの信者と支持者のほうです。

命を守るアプローチを敗北と呼ぶ、倫理観こそ、教育を語る資格はありません。

こんなコメントがあった。

戸塚宏の意見、名古屋大学の癖に、

学問的に見事なまでに間違いまくって、マジで不快だから、

もうメディアやマスコミに出さないで欲しいわ。 本能本能って言ってるけど、

人間が本能に従って生きたら国が崩壊するわ。

感情論振りまいてるだけの人見てるとイライラしてしょうがない。

 

彼の唱える脳幹論(ガンもアトピーもうつ病も全部、俺が支配して直す!!)

 医者はいらん!あいつらはなんも直せん! (監禁) が物語る通り彼は、

学歴は理系ですが 頭の中はチンパンです。

自身のYouTubeの概要欄にまで脳幹論を唱える可哀想な人です。

彼は人を治す前に、誰かに治してもらうべき病人なので、

寧ろ悲しんであげてください。

 

高齢になり、身体不自由になり行動についてこれなくなり、

周りからイジメられて攻撃されても「本能的なイジメ」だから、

自分が悪いとイジメられている自分が悪いというのだろうか?

 身体が頑丈で健康なうちは強いことが言えるから人にも攻撃できる。

 老いや病に倒れて生活さえもできなくなると、

元気だった頃とは言うことが変わり始める。