下記の戸塚ヨット事件はウィキペディアに記載されているが、

いくら教育としての体罰とは言え、やった時点で、

反発せずに全面的にミスを受け入れる潔さを見たかったな。 

・訓練生の遺体に無数の打撲や内出血、歯の損壊などの痕跡。

過度な暴行・体罰が明らかに。

戸塚宏校長らは「教育の一環としての体罰」と主張。

裁判所は退け、傷害致死や監禁致死などの罪で起訴され、有罪判決。

ただし、甘ったるい温情裁判だった。

 

例えば、殺人罪の人にも殺した理由はあるでしょ。 

でも、殺したことが悪いでしょ。 社会秩序、感情、みんなが守るものだから。

 普通に批判するものだよね。 なくなった小川くんは13才で不良ではない。

 体を鍛えようとして入った子供。 

竹刀で100発以上なにも悪くないのに叩かれて、日常も殴る、蹴る。

 一週間で自立して立てなくなっても病院につれていかず更に沖にでて死に至らしめてる。 

複数の内出血で内蔵までたっしてる 親も訴えていて暴行を認めてるのよ。

 歯が二本ないとか それでも逃げれない、だれも助けてくれない 13才の子供だよ。

かなり怖くてきつかったと思うよ。 

また、戸塚ヨットスクールて様々な人が入ってる いじめられてた側の人。

病気が全て治ると吹いたから病気の人。 など様々。 本質はなにか?

は難しいけど、 個々、裁判記録などから見たり、

不の部分も見て多面的に判断材料にしたほうが良いのでは?

 

体罰と暴力を戸塚氏自身は区別して定義しているが、

明確な体罰の実施基準があったわけでもなさそうだが、

末端職員が体罰と称して暴力を振るっていたのが実態かなと思ったりしますね。

 

裁判記録では本人もかなりやっていて、映像とかでも残っていると思いますよ。

海に竹刀で沈めたり。 問題点として、

その頃の常識や世の中は違うのでそうしたことが、ある程度許容してた?

みたいなものはあるのかな? と思うのですが

 問題は 今、そうしたことを風潮していること。 

例えば、体罰と暴力を区別していること 。

言葉としての区別では目的が違うのですが、

今の常識としては 体罰の中に暴力は定義してあり、

体罰は指導、教育ではなく、やってはいけない禁止事項であり、

法で禁止なので体罰と言う言葉は定義されていて、

戸塚宏のものではないと言う点があげることがてきると思います。 

今だに、体罰は教育、躾、指導としてあるような言い方ですが、 

体罰の科学的な不や被害者が多い。科学的な裏付け、

人権から禁止の世の中です。 それを無視してマスコミが〜と他責、

なおかつ、情弱信者を作り出すです‥ 考えは色々ですが、おかしいと、ある方は感じてます。