「目的が大事だ」とおっしゃいますが、

その目的を達成する手段として「人の命が失われるほどの暴力」が行われ、

実際に多くの犠牲者が出たという事実は、目的がどうあれ正当化できるものではありません。

 裁判の結果という「客観的な事実」を根拠にすることは、議論において、

卑怯でも何でもなく、むしろ自分の想像だけで語るよりも誠実な姿勢だと考えています。

「命が失われた」という動かしようのない事実を重く見ているんですよ。 

それを「卑怯」や「クズ」といった言葉で否定されるのであれば、

これ以上お話ししても平行線を辿っても仕方がない。

 

「武道家の方の見学」という今の断片的な様子と、

指摘している「実際に犠牲者が出て裁判で確定している過去の事実」では、

話の重みが違うと思いますよ 「今は見られない」からといって、

過去の凄惨な出来事が消えるわけではありませんし、

それを含めて、教育のあり方を考えるべきだと言っているだけです。

 

裁判で認定された事実と、現在の常識的な判断に基づいた、意見に対して、

まともな反論ができずに言葉を濁されるのであれば、

これ以上お話しすることはありません。

 論点の整理が必要なのは、どちらの方でしょうか?

と問いかけたい。

 

傍聴された方の個人的な感想は自由ですが、どのような背景があろうとも、

「預かった子供たちの命が失われ、その責任を問われて有罪判決が出ている」

という事実は、誰かの感想で上書きできるものではありません。

 

私は戸塚宏の言葉を盲信しているわけではなく、失われた命という重い事実と、

それに対する公的な判断(判決)を根拠に話をしています。

 

 裁判は、検察・弁護側が膨大な証拠と証言を出し合い、

数年かけて慎重に結論を出すものです。一人の「傍聴人」が数時間見て感じた感想よりも、

確定した判決の方が社会的な重み(事実としての信頼性)が圧倒的に高いのは言うまでもありません。