宮城さん、安らかに | Ever Tennis

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テニスジャーナリスト(ITWA国際テニスライター)
神 仁司(こう ひとし)のブログです。

宮城黎子さんが、亡くなられました。

86歳でした。

全日本テニス選手権のシングルスで、

10回も優勝した名プレーヤーでした。


引退後、フェドカップの監督なども務められました。

そして、日本でのテニス専門誌の嚆矢となった「モダンテニス」を

創刊されました。

その後は、「テニスクラシック」の編集長を務め、

日本テニス界の発展と普及のため、世界のテニスを

取材されていました。


僕が知る宮城さんは、クラシック編集長の宮城さんでした。

ご高齢になられても、グランドスラム大会に足を運ばれていた、

彼女の好奇心、メンタル、体力、そして、テニスへの愛情には、

頭が下がる想いでした。



僕が、異業種からテニス雑誌の記者に転職をしてきたばかりの頃、

取材現場に足を踏み入れると、

当然のように昔からいる他社の記者やカメラマンは、

「誰だ、こいつ!?」みたいな冷たい目を向けます。

まぁ、どこの業界にも、ありがちなテリトリー意識ですが……。

僕は、少しでもいい取材をして、いい記事を書いてやると、

やっきになっていたそんな中、

宮城さんは、ライバル誌の僕にも、優しい言葉をかけていただきました。


USオープンの時は、

誰よりも試合を取材するんだと、夜遅くまで試合を見ていて、

もう誰も日本人のメディアはいないだろうと思っていたら、

全試合が終了した後に、宮城さんがメディアルームに現れて、

「さ、帰りましょ」と声をかけていただき、

一緒にホテルへ帰ったこともありました。


しゃかりきに取材したところで、誰に認められるわけではないけれど、

宮城さんに、優しい言葉をかけられると、

涙が出そうになる時もありました。

でも、その後は、また取材頑張ろうと、思ったものでした。


そうそう、ニューヨークの日本食レストラン「日本」にも、

よくご一緒させていただきましたっけ。

最後に一緒にお食事をさせていただいのが、

2005年USオープンの時でした。

たしか、宮城さんのグランドスラムラスト取材だったと思います。



あるベテラン記者は、

「宮城さんは、いくつになっても乙女なんだよね」

と言っていたのですが、本当にそうだと、僕も感じていました。


いつも優しく、気品があり、女性らしく、誰よりもテニスを愛された方でした。



2004年USオープンで、浅越しのぶがベスト8進出を決めた時、

僕の左隣の記者席に座っていた宮城さんが、

握手を求めてきたことも思い出されます。

思わず彼女の細い右手を握りしめました。

浅越のベスト8も嬉しかったけど、

宮城さんにテニス記者の自分を認めてもらえたような気がして、

勝手に二重の喜びに浸っていました。



宮城さん、おつかれさまでした。

どうぞ安らかにお休みください。

そして、天国から日本のテニス界を見守ってください。


自分も、宮城さんには到底およびませんが、

微力ながら、いちテニスジャーナリストとして、

日本テニス界の発展に貢献できたらと思っています。


宮城さん、またいつか……。

ときどき、日本テニス界を叱咤激励してくださいね。