※BGMでも聴きながらお読み下さい。
池田聡 月の舟
何年か前にNHKクローズアップ現代」で「バーゲンジャ
パン」という僕にはショッキングな番組を流してた。
不動産が買われている事は昔から知ってたが、今では今まで
人件費が安いからと80年代頃から中国を中心としたアジア
諸国に製造拠点を移した国内企業は舞人にいとまがない。
僕自身も退官後に民間に下った会社で副総経理として工場の
立て直しに行かされ、万年赤字の工場を3ヶ月で黒字化に成
功した。
そもそも会社でも、どこでも殆どの企業も官庁も人件費が一
番多くな経費であり、その人件費が安いのに赤字とは余程の
黒い闇があると最初から感付いていました。
そこに、入社後直ぐに中国に社長に同行して出張に行かされ
た時だ。
僕と社長がいる時に、現地責任者は日本人だが赤字工場も立
て直せない癖して凄く慢心しててが解雇寸前になってた日本
語が少し話せるがレベルが低いからと解雇しようとしてた男
の子を社長に言い僕預かりにさせて貰い、解雇はさせなかっ
た。
彼は、その恩を忘れてはいなかった。
しかも彼の中国国内の人脈は凄いものでした。
当時の責任者は仕事も真面目にせず女遊びばかりしてたので
協力する気にならず、知らん振りをしてたが、イザ、自分が
解雇されるかもしれないという時になり、その事を後悔した
と言うが、僕が彼の顔付、目つき、動作、下手な日本語だけ
ど、割と文法は正しく使えていたので僕の中国工場での助手
にして貰ったのだが、それだけでは無く給与も2倍にしてく
れと社長に頼み、現地責任者は不満そうだったし文句も言っ
たが社長が、通常は一人で来るのに帯同者が居て、しかも、
彼が今までは会った事が無いタイプだった事もあったのだろ
う。クチグチ言うだけで聞き流す程度のレベルの低い話しば
かりでした。
社長に逆らう事は出来ない。
彼は日本で小さな町工場を経営してたが倒産させ、その会社
で働いていたが、会社の売り上げとか利益には余り興味が無
さそうだった。
そんな会社を黒字化するなんてチョロいもんだった。
そして中国人の彼に聞いたのだが歴代の責任者は仕事もせず
自分の中国人愛人を会社に秘書として雇ったりとか、外に家
を買って住まわせたりと会社の金で遣りたい放題だったらし
い。
まぁそんな事だろうとは思ってたが、流石に僕が赴任後発見
した横領してる金額も半端なく自分が潰した会社の借金をチ
ャラにしてドロンしてた。
僕は横領罪で刑事告訴し、追わせて弁済させるべきだと主張
したが、その時、二女も経営に参画してた事もあり、結局、
御咎め無しで、そいつがバレるのを恐れ中国人ヤクザに金を
渡し僕の殺害を依頼し2度ほど、殺されそうになったが、僕
が雇ってた彼は警察上層部から現地共産党書記にまで顔が効
く男で直ぐに現地警察のお偉いさんとも友達になり、ヤクザ
の親分とも警察を間に入れて飯を食い本当の話を現地の彼の
通訳で話したら、「今度、奴が中国の愛人に会いに来たら殺
す」と言ってたが僕は別に止めはしなかった。
しかも、僕の殺害は、その親分だけは無く二重に頼んでで、
だから2度殺されそうになったのだ。
普通の民間人なら、即死してたかもしれないけど、僕は傷1
つ追う事も無く、彼の友人の警察官に被疑者を引き渡し、ま
たもやヤクザの親分と飯を食い、今度は僕の味方になり僕が
年上というのもあり「兄貴」と言っていいか?と聞かれたか
ら、困ったけど「良いよ」と言い、彼の子分を僕のボディー
ガードに着けると言い出したが、それは警察上層部の友人の
計らいで24時間2名で警護され、夜も警察車両が外に居た。
普通は中国も駄目らしいのだが、特殊警棒を持たされた。
そして、前の現地責任者は名前だけの副総経理だったが僕は
登記上も副総経理にさせられたし国内でも取締役になってた。
これまで何度、社長に頼んでもボロ工場からの移転は許して
貰えなかったらしいが、頼んでもいないのに社長の方から工
場を移転しろと言う指示が来ました。
僕は一度も移転の話をした事は無く、別にボロでも夏涼しく
冬暖ければ文句は無かったが、移転しろと言われ、何所に工
場を建てるか、治安や人件費、人の集まり具合、現地共産党
委員との話をしたが、省都の委員長とも話せる間柄の僕に文
句を言える筈が無いのが中国だ。
役人は工場を外資の会社を誘致出来たら出世出来るかもしれ
ないから毎晩の様に接待が続いたなぁ。
工場も予定通り出来上がり、総経理室、副総経理室、そして
事務室、会議室、工場と寮も建て、机とかの備品も全て新し
い物に替えた。
特に社長が使う総経理室には裏部屋もあり、バストイレ付に
した。
まぁ普段は僕が使ってました。
裏部屋は秘密会議の場所。
あと僕の昼寝の場所。
なので大きなソファーセットも置いた。
本当はベッドも置きたかったが、流石にそれは中国人の会社
なら普通だけど、日系企業はヤバいし怒られただろう。
毎日、昼食後は、そこで昼寝をしてて僕の秘書君以外は僕が
出掛けてて留守にしてると思ってた。
僕と僕の秘書君以外、その部屋に入る事が出来るのは口の堅
い人のみ。
万が一の逃げ場所でもあったので。
そして副総経理室も総経理室からは少し見劣りするなぁとい
う感じにした。
副総経理室は時々、秘書君に使わせていたけど、そこからだ
と工場の中の様子が見えないので事務室は真っ直ぐに工場の
中が見える様に設計して建てたので秘書君と事務スタッフに
は、そこからサボっている工員がいないか見張らせたし、工
場事務で、前の責任者の時は仕事中にネットゲームとかする
のを許してたけど、僕は1度は注意して許したが2度目には
解雇していた。
それが例え、工場のライン責任者であっても。
そして後釜にはライン責任者じゃ無くても普段の仕事振りが
良ければ抜擢し給料も上げてあげてたから士気は高かったと
思う。
真面目に仕事をしていれば、昨日まで一工員だった子がライ
ン責任者になれ給料も倍増するのだから、そりゃぁ幾ら怠け
者の中国人でも真面目に働くし、いつ自分の立場が危うくな
るかもしれないという危機感を抱いたライン責任者や工場事
務員も真面目に働くし、仕事中に遊んでいる者を教えてくれ
た者には報奨金を与えていた。
汚いやり方かもしれないけど、そこまでしないといけないの
が中国ビジネスです。
副総経理室を少し見劣りを悪くさせたのは机と隠し部屋やシ
ャワールームが無い位でトイレは社員とは別に作らせた。
総経理室並みにしたら社長に怒られるし。
中国で通訳兼秘書の彼の紹介で出会った方は書道の名人で僕
の為だけに書いてくれ、直ぐに額に入れてしようとしたが、
その店の主人が、かなりの高額で売ってくれと頼まれた程だ。
売らなかったし出来上がったら部屋の僕の机の後ろに飾った。
あの頃は、楽しかった。
僕も、まだ若くて、病気も無かった。
中途退官してウジウジしてたから丁度良かったのかもしれな
い。
でも冬はマイナス20度とかだし夏は逆に40度とかでエア
コンが効かないから会社は休みとか普通な所だった。
僕の工場では無いけど。
万全の備えでエアコンは各所に配置してたし。
工員が、暑い、寒いでは良い仕事は出来ないですから。
中国には集中暖房という自治体が石炭を焚いてお湯にし、そ
れが各家庭や工場に来るのだけど、そんなもんじゃ全くとは
言わないが効果は無い、
だから自己防衛をしないといけないのだ。
その中国の工場が逆に今度は日本に工場を移転してきて日本
人を雇ったり、日本の若いエンジニアは、やりたい仕事をさ
せて貰えないからと中国資本の工場で日本で学んだ技術を活
かして日本で働いている。
しかし、日本企業も馬鹿じゃ無い。
国内回帰して、やはり若い技術者を、先ずは現場に出して問
題点を探らせて、それを解決するという取り組みをしている。
逆に80年代~90年代に「メイドインジャパン」は最高!
!!というブランドイメージを世界に植え付けたお陰で日本
勢は安くて直ぐ壊れる海外ブランドみたいのじゃなく、多少
値は張るが長く使えて時代が過ぎても古臭く無い物を開発し
国内外で生産し再び「メイドインジャパン」旋風を巻き起こ
そうとしている。
確かに「Made in China」を見るより「Made in Japan」
を見た方が安心感とか信頼感が全く違うし「Made in Koria」
なんて見ると投げつけて壊したくなるし僕は馬鹿じゃ無いから
買わない。
国内での製造業を蔑ろにする国は、いずれ亡ぶと思う。
あのアメリカでさえ国内での製造業は生きているが日本は政
府の無策で異常な程に電気代が高く、多くの電力を使う鉄鋼
業の会社なんかは、再生可能エネルギー等という寝言に振り
回されず、工場の敷地内に小型融合炉の原発を作り自家発電
所を作り、必ず余る電力が出るので、それを自治体や国に売
電すれば良い。
しかし、きっと日本だと規制の網に引っ掛かる可能性が大な
ので萩生田光一氏が経済産業大臣の内に法改正を行わねばな
らない。
金も力もある製造業を持つ企業は自分の工場敷地内に小型原
子力発電所と変電所をドンドン作り国にヤル気が無いので民
間でやれば電力不足も電気代が異常に高く国内回帰が難しい
と言う問題を解決出来るし既存の電力会社もヤル気が無いの
で、一大ビジネスモデルが日本で出来るかもしれないし、し
かも電力不足も解消されるし何も原発だけじゃなく田舎の水
源が豊かな所なら水力発電所を作り、自分の工場に引いてく
れば良い。
国も、経済産業省も無為無策なのだから、文句を言える筋は
無いだろうし国民は、左巻き以外の人を除き、挙って賛成す
るだろうと思う。
地方自治体も自分の県内に小型原発を作り、夏や冬に電力会
社が必ず余力が無いとか言い出すので、夏と冬は稼働させる
とか、常時稼働させて自分のとこの都道府県内の企業も家庭
も電気代が安く住み易い環境にすれば良いのだ。
そうすれば発電所がある県で問題が起きても自分の所の自治
体単独で発電は可能で、他の困っている自治体を助ける事も
出来るかもしれない。
どうせ反対するのは共産党系のプロ市民ばかりだから無視す
れば良いだけだ。
日本も国内に製造業を取り戻さないと滅びるしEU等の三流
組織に振り回されるし、日本の取り組みが世界の標準となる
かもしれないと思う。
日本は日本人は何度も焼野原から立ち上がり生き抜いてきた
民族だ。
外国勢になんか負ける気がしねぇよ。そもそも。
因みに、僕が残した男の子は、僕の赴任中は僕の通訳兼専属
秘書にし、経営の何たるかを教え鍛え上げて今は、別の僕が
居た会社よりも大きな日系の会社の中国責任者になってます。
今も、たまに偉そうにスカイプよこします。
僕の指導が良かったのか、僕が工場を離れる頃には日本語も
普通に話せるし、丁寧語、謙譲語、尊敬語とかも理解し普通
に日本人と渡り合える程に成長させた。
でも、あのクビになりかけてた頃、彼の嫁さんは生死を彷徨
う様な病気に罹ってて、僕が解雇しない様に頼んだ上に給料
を2倍にしてくれたお陰で省都じゃなきゃ手に入れられない
薬が買えて嫁さんが快癒したと感謝されてた。
あの薬が買えて治療出来なかったら死んでたと。
奥さんが入院している病院の中庭で止めてた煙草を吸い、涙
を流し、「もし嫁さんに何かあったら自分も後を追うから子
供達を頼む」と両親に頼んでいたと聞いた。
彼は絶望の中に居て、そして思わぬ事が起き、解雇を覚悟し
てたのが一瞬にして解雇は取り消し、嫌いな日本人責任者と
は決別出来た上に給料は2倍になり高価な薬が買えて奥さん
は死なずに済んだ。
別に、僕は、その話は後から聞いた話で、最初から知ってた
訳じゃ無い。
死別せずに済んで良かったと僕も嬉しかった。
僕の死別体験を彼に話した時に彼は涙を流して僕の手を握っ
てくれ、今、再婚して幸せに暮らしている事を誰よりも喜ん
でくれているし、家内にジュエリーを送ると言ってたが、流
石に、それは断った。
僕の家内じゃ無く生きててくれた奥さんに感謝を込めて贈れ
と。
だから彼の嫁さんからも何度も昼の御飯を作って貰えて随分
助けられた。
休日に僕を気遣い色々な所に連れて行く為に家を空けても文
句の1つも言われた事は無いと言われた。
その代わり、毎晩、二人で散歩をしているのだと。
当時は、羨ましかったな・・・・。
確か中秋節は中国では家族で食事をして静かに過ごす日だと
聞いていたのだけど、秘書君は「副総経理、食事に行きます
よ」と言ったので「今日は家族で食事をして過ごす日なんだ
ろ?俺の事は良いから家に帰りなさい」と言った事もあった
が、彼の気持ちが嬉しかった。
中共は政治体制とか一部の人間は嫌いだが、こういう人達も
居て今も朋友と慕ってくれているヤクザの親分とかもいる。
元秘書君に僕の近況を聞きに来ては心配して帰ると聞いた。
今は社会人の娘さんと中共が一人っ子政策を間もなく止める
と言う情報は早く入ったので直ぐに子作りを始めたらしく男
の子が生まれ、今は、もう直ぐ高校生だったか中学生だった
かになるらしいし、彼自身が独立して友人(この子も僕が育
てたが彼よりも先に卒業させた)と会社を設立していくみた
いです。
それこそバーゲンジャパンの波に乗って日本人を雇用する側
になるんじゃないかな?
僕を雇ってくれと頼むか?
でも、もう爺さんだから駄目だと言われるかな?
金はあげるし年寄りは大事にする文化だからね。
まぁその為に育てた訳じゃなくて、あくまで自分が生きた証
を中国にも残したかっただけ。
彼らが何故、僕についてきてくれたかというと、前の奴等の
様に女遊びばかりしかしないのが日本人だと思ってたが、僕
は仕事が終われば通訳兼秘書君を連れて食事に行ったり、買
物をしたら彼の家族の分も買ってあげたりして女遊びは一切
しなかった。
僕は、確かに中国とか韓国に行けば女が安く買えて性のはけ
口には丁度良いと聞いていた。
でも、そんな日本人が小金を持ってるからと他国の女を金で
買う等という海外の国を馬鹿にする様な行為はしたくなかっ
た。
買われる女性の方は少し多くお金をくれる日本人の方が良い
のかもしれないけど、それが僕の哲学だ。
だから、日本に戻っても何も恥じ入る事は無い。
※「天は一生懸命に働いている人を応援し導いてくれる」とい
う中国の古典からの文章で書の左側には「〇〇様へ➡僕」
とも書いてあります。
しかも朱印を3ヵ所押してあるのは、その書家が書いた本物
であるという証拠と権威らしいです。
北京からも認められた、かなり有名な書家らしいですが、何
故、僕に書いてくれたかは秘書君しか知らないし、幾ら理由
を聞いても教えてくれませんでした。
May be the best year of my life.


































