幸せは私の中に そしてあなたの中に。 -22ページ目

幸せは私の中に そしてあなたの中に。

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

 

Mr.Children 「足音 〜Be Strong」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が、働けてた間に気付いた事の1つを書きたいと思う。

 

 

社会人になれば多くの組織、それは官民それぞれが殆ど同じ

 

 

だと思いますが、組織の中ではよく上司が「チームワークで

 

 

頑張れ」とか言う。

 

 

でもチームワークなんて言われたから出来るもんじゃ無い。

 

 

しかし僕が感じていたチームワークというものは凄く薄いガ

 

 

ラスで出来ていて、必ず仲間に入らない人や裏切り者が出て

 

 

る。

 

 

しかし、そこに「絶対」という言葉は使わない。

 

 

中には純然たるチームワークも存在すると思うからだ。

 

 

だが、そういう事を感じたり経験した事がある方は僕だけじ

 

 

ゃ無いと思う。

 

 

むしろ何も言葉は必要なく自然と出来る職場の絆というもの

 

 

がある。

 

 

頼んだ訳でも無いのに助けを貰ったり、頼まれた訳でも無い

 

 

のに仲間の窮地を救おうと考えた行動した訳でも無いのに身

 

 

体が自然と動く。

 

 

頭が自然と動く。身体が自然と動く。

 

 

何が正しくて何が間違っているかを頭と身体が記憶している。

 

 

それが職場や同僚との絆なのだと最近になって気付いた。

 

 

「同じ釜の飯を食う」という言葉がある。

 

 

普通の会社では無い事だが、消防庁や警察とか自衛隊とかの

 

 

別職の世界ではチームワークと絆が組織を形成していた。

 

 

逆に言えば、それが無ければ組織の体を成さない。

 

 

一度出来た絆は組織を離れても消えはしない。

 

 

テレワークとか在宅ワークとなって人間関係が気薄になって

 

 

きているけど所詮、間にパソコンが入っていたとしても働い

 

 

ているのは人間だ。

 

 

テレワークでも人間関係を大事にしない方はいずれ破滅する。

 

 

大事にしないというより、人間は利用するものだと考えてい

 

 

る人は破滅する。

 

 

人間は相見互いなのだ。

 

 

そうやって出来た人間関係を絆と呼ぶ。

 

 

人を利用して生きている人は人に、散々利用されて必要無く

 

 

なれば躊躇いもなく捨てられる。

 

 

社会とはそういうものだと思う。

 

 

これを綺麗事だと感じている人は他人同士の職場での絆を知

 

 

らない憐れな社会人生活をしている人だと思う。

 

 

僕は定年を前にリタイヤしてしまったが、幸せな社会人生活

 

 

を送れたと思う。

 

 

人生の中で、そういう一時期があった事を幸運だったと僕は

 

 

心から思っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
May be the best year of my life.
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

九州男&hiroko 手紙。。

 

 

 

 

 

方丈記の前の部分が昔から大好きというか、そういう仕事を

 

 

してたからなのか何となく諸行無常な世の中に悲しみを感じ

 

 

ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「方丈記」原文

 

 

 

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よど

 

 

みに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消えかつ結びて、久し

 

 

くとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、ま

 

 

たかくのごとし。
 


たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑し

 

 

き、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これを

 

 

まことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年

 

 

焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人

 

 

もこれに同じ。所も変わらず、人も多かれど、いにしえ見し

 

 

人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に

 

 

死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける
 


知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかた

 

 

へか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし

 

 

何によりてか目を喜ばればしむる。その、あるじとすみかと、

 

 

無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならずず。あるい異な

 

 

ら落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは

 

 

花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つこと

 

 

なし。









 

「現代語訳」

 

 

 

 


流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいて

 

 

(そこを流れる水は)もとの水ではない。(河の流れの)よ

 

 

どみに浮かんでいる水の泡は、一方では(形が)消え(てな

 

 

くなり)一方では(形が)できたりして、長い間(そのまま

 

 

の状態で)とどまっている例はない。この世に生きている人

 

 

と(その人たちが)住む場所とは、またこの(流れと泡の)

 

 

ようである。
 

 

宝石を敷き詰めたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根(

 

 

の高さ)を競っている、身分の高い者や、低い者の住まいは

 

 

時代が経ってもなくならないものではあるが、これは本当に

 

 

そうなのかと調べてみると、昔から存在していた家というの

 

 

はめったにない。あるものは昨年焼けてしまい今年造ってい

 

 

る。あるものは大きな家だったのが落ちぶれて小さな家とな

 

 

っている。住む人もこれと同じである。場所は変わらず、人

 

 

も多いが、(私が)過去会った(ことのある)人は、2,3

 

 

0人のうち、わずかに1人か2人である。朝に(人が)死に

 

 

夕方に(人が)生まれるという世の定めは、ちょうど水の泡

 

 

に似ていることよ。
 


私にはわからない、生まれ死んでゆく人は、どこからやって

 

 

きて、どこに去っていくかを。またわからない、(生きてい

 

 

る間の)仮住まいを、誰のために心を悩まして(建て)、何

 

 

のために目を嬉しく思わせようとするのか。その(家の)主

 

 

と家とが、無常を争う(かのようにはかなく消えていく)様

 

 

子は、言うならば朝顔と(その葉についている)露(との関

 

 

係)と違いない。あるときは露が落ちて花が残ることがある

 

 

残るとは言っても朝日を受けて枯れてしまう。あるときは花

 

 

がしぼんでも露が消えずに残っていることもある。消えない

 

 

とは言っても夕方を待つことはない。(その前に消えてなく

 

 

なってしまう。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

スピッツ / チェリー

 

 

 

 

 

 

 

大事な人を失うまで考えた事もなかったけど、ある意味、人

 

 

間性を捨てても何もかも捨て去っても、友達も無くして良い

 

 

親の愛も要らない。

 

 

ただ、人生の勝ち負けだけを考えてた。

 

 

男なら思いを形で示せと思っていた。

 

 

それが他人を押しのけても勝ち続ける人生でした。

 

 

しかし、大好きな仕事から離れ、病気になり、勝ち続けてき

 

 

た人生から転落人生で未だに転落し続けている。

 

 

でも、最近、思う。

 

 

人生、勝ち続ける事など出来ないだろうし負けてみないと負

 

 

けという事がどういう事か判らない。

 

 

そして挫折も。

 

 

人間は歳を取る。

 

 

そうすれば必ず若い者に負ける日は必ず来る。

 

 

でも、それで良いじゃないか・・・喜んで負けて相手の勝ち

 

 

を祝福し相手の価値を認めてやろう。

 

 

心の中にある大事な物は一生消えないし、勝った喜び、負け

 

 

た悔しさ。挫折。

 

 

それらが全て揃って、初めて人生と呼べるのだろうと思う。

 

 

悲しければ泣けば良い。

 

 

涙が出る程、悲しいのは思いが強かったからだ。

 

 

悔しかったら泣け。

 

 

それだけ頑張った証拠だ。

 

 

他人は僕を人生の負け組と言うだろう。

 

 

実際に裏で蔑まれた事もあった。

 

 

その時は悔しいと思って爪が食い込む程手を握りしめた。

 

 

だけど今は負け組でも良いと思っている。

 

 

負け者の遠吠えと思うなら思えば良いし、ありきたりと思う

 

 

なら思えば良い。

 

 

負け惜しみでも何でも無く本当に僕は今、負け組でも良いじ

 

 

ゃないかと心から思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.