※BGMでも聴きながらお読み下さい。
夢一夜:南こうせつ
今日、地域の方の葬儀があった。
葬儀が始まる前に、拝みに行って来た。
亡くなられたのは高齢の方ではあったが、正直「もう寿命
だった」という年齢では無かった。
だから驚きもあった。
死因を聞いても、周囲ははっきり教えてくれなかった。
そういう時、人は何となく察してしまう。
自分は「自殺だったのではないか」と思った。
もちろん真実は分からない。
だが最近、その方の姿を見る事も殆ど無かった。
認知症だったのか、アルツハイマーだったのかは分からない。
しかし、以前とは明らかに様子が変わっていた。
多分、家に居る時間が増え、自由も減り、段々と生きる気力
の様なものが削られていったのではないか。
そんな事を考えてしまった。
その家には長男が居る。
しかし僕より十歳程若いその長男は、既に別の土地へ家を建
て、家族と共に暮らしている。
つまり、その時点で跡取りの居ない家になっていた。
田舎では、「家」というものがまだ重い意味を持っている。
先祖代々の家。
土地。
墓。
それらを守るという感覚が、まだ残っている。
だから故人も、息子の為に家を改築までしていた。
「いつか帰って来るかもしれない」
そんな期待もあったのかもしれない。
しかし結果として、その改築も無駄になってしまった。
夫婦仲も決して良いとは言えなかった。
色々と不遇な人生だったのだと思う。
けれど、若い頃の故人は違った。
地域の中では比較的リーダー的な存在だった。
行事にも顔を出し、人の前へ立ち、地域をまとめる様な役割
をしていた。
自信も活気もあった。
だからこそ、年老いて昔の面影が消え、静かに亡くなって
いった姿を見ると、何とも言えない気持ちになる。
今日、自分は故人へ向かって、心の中で「ご苦労様でした」
と手を合わせて来た。
長い人生だったのだと思う。
楽しい事ばかりでは無かっただろう。
苦しい事も、寂しい事も沢山あった筈だ。
それでも最後まで生き抜いた。
だから「お疲れ様でした」と言いたかった。
実は自分は、昔、葬儀会社で葬祭ディレクターをしていた。
だから葬儀そのものには慣れている筈だった。
祭壇。
焼香。
遺族対応。
式の進行。
そういうものは、仕事として何度も経験して来た。
だが不思議なものだ。
仕事として関わる葬儀と、実際に知っている人の家へ行き、
手を合わせる事は全く違う。
何故か緊張する。
仕事の時は冷静になれる。
やるべき事を考え、淡々と動ける。
しかし知っている人の葬儀になると、そうはいかない。
感情が入る。
「あの人も亡くなったのか」と思ってしまう。
そして今年、自分にとって葬儀はこれで二度目だ。
一度目は、我が家の分家の長男だった。
長男と言っても一人っ子だった。
病気だった。
その時は、「何故もっと早く病院へ行かなかったのだろう」
と思った。
もっと早く受診していれば。
もっと早く治療していれば。
そう考えてしまった。
だが人生は、後からなら幾らでも言える。
本人にしか分からない事情もある。
人は皆、自分の人生を抱えて生きている。
それでも、知っている人が一人ずつ亡くなっていくのは、
本当に寂しい。
若い頃は、周囲に年配者が沢山居た。
地域の行事でも、皆が元気だった。
笑い声もあった。
しかし今は違う。
一人減り、また一人減る。
気付けば、「あの人も居なくなったな」と思う事が増えた。
それはつまり、自分も同じ様に歳を重ねているという事なの
だろう。
人は必ず老いる。
そして必ず死ぬ。
頭では分かっていても、実際に知り合いが亡くなると、その
現実を突き付けられる。
だから今日、自分は改めて思った。
生きている時間は限られているのだと。
May be the best year of my life.












