看取り。 | 幸せは私の中に そしてあなたの中に。

幸せは私の中に そしてあなたの中に。

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

 

九州男&hiroko 手紙。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間、生きて歳を取ればとる程、近しい人達や身内・友人・

 

 

知人を看取る事が多くなる。

 

 

僕は、まぁ普通の多くの人が体験する様に先ずは親父で初め

 

 

て喪主を務めた。

 

 

早過ぎる喪主でした。

 

 

緊張もあったのだろうけど、親父が死んで涙の一粒も出なか

 

 

った。

 

 

看取ってというか正確には最期の時に3分間に合わなかった

 

 

けど人生で2番目に泣いたのは叔母ちゃんを看取った時でし

 

 

た。

 

 

叔母ちゃんは、前妻の嘘に騙されて親戚の多くの人が僕から

 

 

離れて行っても最期まで僕を信じ、心配し、可愛がってくれ

 

 

た母の次に世界で二番目に大事な人でした。

 

 

母にとっても1歳違いの姉で、生まれてから1度も兄弟喧嘩

 

 

をした事が無いそうです。

 

 

それ程、仲の良い姉妹だったらしい。

 

 

母は6人兄妹の4番目ですが、叔父が逝き、一番上の僕が、

 

 

大嫌いな叔母が逝き、弟が逝き、そして叔母ちゃんが逝き、

 

 

残った母の姉弟は母と末弟の叔父だけになりました。

 

 

父方の叔母二人は生きていますが、その叔母二人も大嫌いな

 

 

ので死んでも葬式には行くつもりはありませんし、大嫌いな

 

 

叔母が死んだ時も車なら家から3分の距離でしたが、一度も

 

 

顔を出しもしなかった。

 

 

僕は冷酷な人ですね。

 

 

自分でもそう思うし、仕事柄人間の死というものに麻痺して

 

 

いる部分もあります。

 

 

だから自分の死も怖れないのかもしれません。

 

 

僕も年齢的に、いつ看取られる側になるか判りません。

 

 

大好きな叔母ちゃんが亡くなられ、亡くなった叔母ちゃんと

 

 

話せる様になるという奇跡が起き家内と出逢い再婚するまで

 

 

僕は母亡き後「一人で生き独りで死んでいく」淋しい自分の

 

 

結末になるのだと決めつけていました。

 

 

子供達も前妻に騙され真実を子供達に話せば、僕は孤独に死

 

 

ぬ事は無かったかもしれないけど、話せば子供達に大きな傷

 

 

を付ける事になるから、母とも相談して僕が生涯悪者で居る

 

 

事に決めました。

 

 

だから僕を看取ってくれる人は居ないと・・・。

 

 

しかし、叔母ちゃんのお陰で家内と再婚出来、此所では家内

 

 

と娘達と家族がいるから「一人で生き、独りで死んでいく」

 

 

という人生では無くなりました。

 

 

ただ、家内に三下り半を突き付けられない限りですけど(笑)

 

 

しかし、僕の心の棘ですけど母を独りにしてしまった。

 

 

確かに近くに弟や従兄妹たちがいて母を気遣い、弟は必ず日

 

 

曜日には、実家の母の所に来ているし、義妹と暮らした家は

 

 

ローンが終わり次第、甥っ子に任せ、実家に戻ると約束して

 

 

くれたので少しは安心していますが、母が危篤になったとい

 

 

う知らせが仮に来たとしても危篤になってから、若しくは逝

 

 

ってから、此所から直ぐに実家に戻ろうとしても片道600

 

 

kmもあり、殆ど休まず車を走らせても12時間近くは掛る。

 

 

母が僕が着くまで頑張って待っててくれたら看取れるだろう。

 

 

でも、その確率は低い。

 

 

母は高血圧と老人には多い腰椎狭窄症位しか今は病気はして

 

 

いないけど、もう80歳を超えた高齢だ。

 

 

正直もう何時逝ってもおかしくない年齢だ。

 

 

仮に病で亡くなるのなら危篤になる前に此所を出れば看取る

 

 

事も可能だろう。

 

 

幾ら実家を離れているとしても僕は長男として母の葬儀の喪

 

 

主は僕が務めなければならないと思っている。

 

 

弟からしたら身勝手な兄貴と思われるかもしれないけど、そ

 

 

うしたい。

 

 

でも、実家を離れ、母を独りにした僕が喪主になる事を反対

 

 

されたら、母を最期まで支えた弟が喪主でも仕方が無いと思

 

 

っている。

 

 

しかし、これから先、家内の両親を含め大事な人を多く看取

 

 

らなければならない。

 

 

幾ら人の死に麻痺している僕でも大事な家族の死は別だ。

 

 

悲しいし、淋しいし喪失感も半端ない。

 

 

現代は少子高齢化や婚姻率の低下や親とは共に暮らさない人

 

 

が多くなり孤独死が増えた。

 

 

しかし、出来る事なら人は淋しく死んで欲しくは無い。

 

 

例え他人であろうと誰かが傍に居て悲しんでくれる人が一人

 

 

でも居てくれる事を願う。

 

 

一度は「一人で生き独りで死んでいく」と覚悟し、今は新し

 

 

い家族が出来て死んだら悲しんでくれる家族が出来て、その

 

 

想いは強くなりました。

 

 

しかし現実は厳しい。

 

 

これからも孤独死は増え続けていくでしょう。

 

 

僕の同級生にも孤独死した人が何人かいるし、元同僚にも、

 

 

何人か居る。

 

 

これ程、悲しい事は無いと思う。

 

 

半面、叔母ちゃんのお陰と家内のお陰で孤独死せずに済みそ

 

 

うな自分を幸運だと思う。

 

 

例え、どんな死に方だろうと傍には家内や家族が居て看取っ

 

 

てくれる。

 

 

これ程、有難い事は無いと思う今日この頃です・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my family.