※BGMでも聴きながらお読みください。
竈門禰豆子のうた
私は、難病と呼ばれる後縦靭帯骨化症、黄色靱帯骨化症、
そして治療が不可能な狭心症と共に生きています。
身体は思うように動かない。
昨日できたことが、今日はできない。
少しの無理が、大きな痛みや発作につながる。
そんな現実の中で、私は何度も問い続けてきました。
「どう生きたらいいのか」 と。
正直に言えば、悔しさは消えません。
健康な人が当たり前にできることが、自分
には難しい。
働き方も、動き方も、夢の描き方も変えざる
を得ない。
でも、ある日気づきました。
失った機能ばかり数えても、心まで奪われるだけだと。
指が動く。
言葉を紡げる。
考えることができる。
誰かの痛みに共感できる。
残されたものは、決して小さくない。
「できない自分」を否定しない
病と共に生きるということは、「以前の自分」と決別することで
もあります。
元気だった頃の自分と比べてしまう。
周囲の人と比べてしまう。
でも比べ続ければ、心がすり減っていくだけです。
できない日があっていい。
横になって過ごす日があっていい。
何も成果が出ない日があっていい。
生きているだけで、もう十分に戦っているのだから。
病気は「敵」ではなく「条件」
私は最近、病気を敵だと思うのをやめました。
敵だと思えば、毎日が戦場になります。
けれど「条件」だと思えば、生き方を工夫する対象になります。
・無理をしない働き方
・発作を想定した行動範囲
・体力を温存する選択
・本当に大切なことだけに力を使う生活
制限があるからこそ、人生は研ぎ澄まされる。
何に時間を使うのか。
誰と関わるのか。
どんな言葉を残すのか。
すべてが、より真剣になります。
心の在り方こそが、最後の自由
身体は制限される。
痛みもある。
不安もある。
けれど――
心の向きだけは、自分で選べる。
嘆く日があってもいい。
弱音を吐く日があってもいい。
それでも最後に、「それでも生きる」と決めるのは自分です。
私は、完璧に生きようとは思いません。
ただ、誠実に生きたい。
自分の限界を知り、
人に甘えられる勇気を持ち、
感謝を忘れず、今日を丁寧に過ごす。
それが、今の私にできる「全力」です。
どう生きたら良いのか
答えは壮大なものではありません。
・一日をやり切る
・小さな喜びを見つける
・誰かの役に立つ瞬間を持つ
・自分を責めすぎない
それだけでいい。
病気があっても、身体が思うように動かなくても、心まで閉ざ
す必要はない。
私は、難病と共に生きています。
しかし、難病に支配されて生きているわけではありません。
今日も痛みはある。
不安もある。
それでも、朝は来る。
ならば、その朝を迎えよう。
ゆっくりでもいい。
不格好でもいい。
誰かより遅くてもいい。
「生きる」と決めた人間は、もう強い。
病と共に生きるとは、
命の重みを誰よりも知るということ。
だから今日も、静かに、誠実に、そして熱く、この命を使ってい
きたい。
May be the best year of my life.




















