メシアは何故日本を、いや、日本人を選んだのか | 夢追い人一里のブログ

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カテゴリ(家庭連合 批判・告発)

倒幕の必要は無かった、徳川幕府が倒されずに存続していたら、明治から昭和に至る戦争の時代は無かっただろうと思う。全国を平和裏に統治した経験が無く、家康のように平和を希求する願望も無く、ただ武力による全国統一を果たした勢力は、勢い秀吉のように海外武力進出を計るのは自然の流れだっただろう。

かつて勝共活動をしていた頃「鉄砲から政権が生まれる」という毛沢東の言葉を批判していたことがある。その流れで、ある左翼活動家の言葉を批判していたことがある。その言葉とは、ぼくらが鉄砲で政権を倒し、それが気に入らなければ国民は鉄砲で僕らを倒せばいいというものだ。

いみじくも倒幕を武力で果たした薩長が作った政権は、内部からではなく外部のアメリカによって、しかも武力で倒された。1868年から1945年まで、武力政権は100年もたなかった。徳川幕府は平和のうちに260年続いたのにである。

 

 

世界にあこがれられた日本人の良さは実に江戸時代につくられたと思っている。そういう身にとって倒幕は実に口惜しいことなのだ。

 

しかし日本人の特性の中で、一つ、概して悪い方向に使われるものがある。それは光があれば陰ができるようなものと言えるが。

忖度という性質だ。この言葉、モリカケ問題が国会やマスコミで有名になった時、国民に広く知れ渡ることになった言葉だ。

その言葉がこの度再び注目されることになった。芸能事務所の大スキャンダルに関連してだ。そのスキャンダルが発覚したのは数年以上も前で、裁判でそのスキャンダルが確定したにも関わらず多くのマスコミは黙殺した。今回海外メディアが取り上げた事でやっと日本のマスコミは閉じてた口を開いた。閉じてた理由は忖度があったからに他ならない。

忖度は思いやりの心の一つと言えると思うが、良き方向に働けば麗しい感動的ドラマも生まれる。しかし、今回悪い方に作用した。

力のある大手芸能事務所に対して長いものには巻かれろという悪癖が働いてスキャンダル黙殺という愚行が行われた。

 

メシアはこの忖度の心に魅力を感じたのだろうと思うのだ。統一原理は次のように述べている。

『神を中心として心と体とが創造本然の四位基台を完成した人間は、神の宮となって(コリント・三・16)、神と一体となるので(ヨハネ一四・20)、神性をもつようになり、神の心情を体恤することによって神のみ旨を知り、そのみ旨に従って生活をするようになる。』  (二) 神の喜びのための善の対象

 

心が通えば、相手の願いが分かるといっている。これこそ忖度ということに他ならない。

また、

『神の、命令ならざる命令により、神のみ旨のとおりに動いて、創造目的を成し遂げていくようになるのである。』  (3) 直接主管圏

 

これこそ日本人の忖度という心の性質を念頭においたものに違いないと思うのだ。

日本人を用いれば、直接命令しなくても願望を悟って実践してくれるだろうと期待したと考えられる。現にメシアが日本人に直接期待した言葉が残っている。

『 日本の情は忠孝の源』という言葉だ。これはメシアのサイン入りで版に刻まれ額縁に入れたものが広く信者の間に行き渡っていた。

しかし、この忖度という心遣いができるのは日本人だけ、世界に通用はしない、よって万民に忖度を要求する理論では破綻する。そこで忖度なしに強制的に命令を聞く体制を作る必要があった。そこで登場するのが下記の文言だ。

 

『天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。』

  (二) 神の喜びのための善の対象

 

『神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ばなければならない。』

(二)三権分立の原理的意義

 

メシアは世界制覇の野望実現の為、日本人に熱い期待をかけた。
 

 

参考

 

 

 

なお、江戸時代について、あれは北朝鮮と同じ悲惨な時代だっという感想を書いた記事もあるので、紹介しておく。反論にも耳を傾けておくことは必要だ。

 

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