断り書き
れいによって、これから書くことは宇宙共鳴論という私説仮説にもとづく妄想であって、未だ真理に達していないものなので、念のため。
因果応報
情けは人のためならず
二度あることは三度ある 《連続の法則》
袖触れ(触り、振り、すり)合うも多少(多生)の縁
これら全て共鳴現象として理解。
人間が想うこと、心を決めて行動すること全ては共鳴の結果おきる現象として理解。
言い換えれば全ては運によって差配 されていると言える。
何故運と言うか。
人間の想いや行動など全ての営みを含む森羅万象は全て宇宙の見えないクラウドHDDに記憶される。それは霊界に記憶と言いたいところだが、人間に霊は無いので霊界とは言い難い。
統一原理では人間の行動の全ては霊に記憶され、人は死後霊界に行き永遠に生きるとされたが、人に霊はない。よって人の生前の活動の記憶は霊ではなく、直接見えないHDDに記憶される。
共鳴は如何にして起きるか。
記憶されているある人のそれまでの半生の記録は、多くの他の人の類似の記録と照合されて、未来が予測される。シミュレーションされる。複数のシミュレーションの中の一つが選定されて地上の人間の想いと行動を差配する。これを人は運命と言うらん。
ここで宇宙の見えないHDDを運塊と名付けることにしよう。運塊にはシミュレーションする主体としてのAI機能が存在する。
そして共鳴する要素として人がそれまで生きて来た、つまりどう生きてきたかがかかわることになる。
ここで疑問が湧く。
どう生きてきたかが問われても、想いも行動も全て差配されて生きているとすれば、完璧な運命論となって自棄になるしかなくなる。
人間に自由は無いのか。今、人の自由は何処にあるのか思考中。