中国人の「公」と「私」 | 人差し指のブログ

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「 山本七平と日本人 」

会田雄次 (あいだ・ゆうじ 1916~1997)

佐伯彰一 (さえき・しょういち 1922~2016)

廣済堂出版 平成5年10月発行・より

 

 

 

 

 

佐伯 その点で一つ、中国人との比較で言いますと、中国の華僑という

    存在ですね。

 

    アメリカで見ていても、例えばその町で中国料理の店を一軒開く。

    やや経ってうまくいくようになる。

 

 

    そうすると、そのオーナーは、親類の者を香港から呼んだり、台湾

    から呼んだりして使っている。

 

 

    そのうちに身近な一人に隣町に同じようなレストランを出させる。

 

 

    一族郎党というか、親類仲間のネットワークをだんだん広げていく

    ことが非常にうまいし、これはたいしたものだと思ったのです。

 

 

     そして、ついには堂々と大きな町にチャイナ・タウンをつくって、

    中国流で押し切る。

 

    それには、政府の援助がまったくないわけです。

    本当に自力で、相互扶助だけで。

 

 

     戦争中の日本でも、例えば長崎や横浜にしても、チャイナ・タウン

    は堂々と生き残った。

 

    これはやはりそうした結合力というか結束力のせいだと思うのです。

 

 

会田 日本の場合は、ああいう華僑そのものは敵としていなかった。

 

 

    蒋介石を敵としたから、その手前もあって、チャイナ・タウンの大衆

    は弾圧できない面もありましたね。

 

    しかし、華僑の結束力は見事なものですね。

 

 

    ただ、邱永漢氏も言っていますが、華僑にとっては、国とか政府は

    歴史的に忌むべき存在で、邪魔にしかならないと考えられている。

 

 

    むしろそれに抵抗するために氏族の団結を強くせざるをえなかっ

    た。

    そういう長い歴史がある。

 

 

    司馬遼太郎氏も言ってます。華僑には 「公」 という概念がゼロだ

    と。  あるとしてもそれは私利益を拡大しただけの存在だと。

 

 

佐伯 自分たちの一家一族のグループとしての利益が中心ですかね。

 

 

会田 ええ。だから、中国人が成功しているといっても、中小企業のネット

    ワークはつくれるけれども、大企業はつくれない。

 

 

    例えば韓国と違いまして、台湾で製鉄業ができるかといったら、

    氏族を超えた団結をつくることができない。

 

    中国人にはそれができないというんです。

 

 

佐伯 それは面白いポイントですね。

    私益、もっぱら 「私」 にかたまっているわけですね。

 

 

会田 だから、閥といった私的結合の結束力は、強いことは強いんです

    ね。

    しかし、「公」 がないというわけです。

 

 

    逆に日本人は 「公」 があると。  そういう面があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        1月6日の奈良公園の子鹿