徳川慶喜脱出後の大阪城では・・・   | 人差し指のブログ

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「 幕末百話 」

篠田鑛造 ( しのだ こうぞう 1871~1965 報知新聞記者 )

株式会社 角川書店 昭和51年4月発行・より

 

 

 

 

 ちょうどあの頃(明治三年伏見鳥羽の戦争時分)、私は大阪天満(てんま)の古着屋に奉公しておりました。

 

(略)

 

古着屋(てまえども)では天狗を染めた模様物を用意しまして、来春(らいはる)になったら大した景気であろう、善(よか)ろうと思っていましたところ、一夜明けて春となった正月の九日、明日は十日”えびす”だという前日に、

戦争(いくさ)が始まって、幕府は鳥羽、伏見の敗軍となって、薩、長、土が

大阪へ繰込みました。

 

 

 さァ商家は景気どころか、めちゃめちゃで、家内子供は在方(田舎の地方)へ逃がして、主人(あるじ)は脚絆(きゃはん)・甲がけで商売をしていますんで、開戦(はじま)ったら逃出そうという始末。

 

 

甲がけ ~  日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

履き物の一種で、足の甲を保護するためのものである。形は足袋(たび)によく似ているが、底はない。

 

 

そのうちに誰いうともなく 「一橋様(慶喜公)は淀から紀州へ落ちて、官軍が乗込んで、今大阪城を取囲んでいる。御城内には誰でも入れる。

こういう時に入らないと拝見できない 」

と触ちらしたもので、私などもいちばんに出かけました。

 

 

すると薩、長、土の軍隊は入城はしないで取巻いています。

 

 

見物はどしどし御城内へ繰込む。  ただ繰込むばかりではありません。

 

 

これに慾が手伝った。御城内の長屋では幕府の人々があわてて逃出したから、夜具葛籠(つづら)、衣装葛籠その他そのままに投出してありまして、主(ぬし)があるんじゃないので、みな我勝に奪取(ぶんど)って引揚げましたが、これを見て軍隊では何とも咎めません。

 

 

そこは大阪人ですから、この機逸すべからずで、市中の評判となって見物は附けたり、物品奪取(ふんだくり)に出かけますと、二日目にとうとう地雷火が破裂して、見物の男女は真黒焼(まっくろこげ)になって、お壕(ほり)へはね飛ばされました。

 

 

嘘か本当か存じませんが地雷火の瀬踏みのため、見物を入れたのだそうです。

 

 

 それから入城禁止となって、同時に持帰った品々を寺町の宝春院(これは仁和寺宮様のお詰所でした)へ届出ろ、さなくば見当り次第厳罰との

お触で、みなふるえ上がり、奪ってきた物をお返しに参ったんです。

 

 

なんの事はない。地雷火の犠牲(ひとみごくう)に上がって、褒美の金を召上げられたような始末。

 

 

立派な家(とこ)から葛籠をお返しにいったものです(あすこも泥棒の仲間で・・・・おやあの家も、というわけです)。

 

 

するとこの物品が葛籠から天満宮のお庭へ蓙(むしろ)(原文ママ)を敷いたその上にどしどしひろげられて入札するという事にきまりました。

 

 

衣物類(きものるい)が多いので、私も主人とともに駆付けます。

 

 

大阪の古着商は近傍の家を借りまして、西・南と別れて入札しましたが、値印(ねじるし)は相対ずくですから、双方へ旨く落ちるようにしまして、

第一回は大した儲け。

 

 

第二回の時も五百両からの入札で、品物は踏倒しても二千両が物はありましたが、開札の上、なんの知らせもありません。

 

 

これは変だと探りますと、川へ附いている萩(はぎ)の船頭が、ことごとく船へ運んでいます。

 

 

おやと思って調べますと、役人があまり安いというので、萩の船頭に買わせ、長州(おくに)へ持込んだものらしい。

 

 

いや、どうも、一同指をくわえ涎(よだれ)を垂らして、千両以上の儲物は翼(はね)が生えて飛んで行くのを眺めている始末なんでした。

 

 

長州には、さすがに これを見ても、智恵者がいましたなあ。

 

 

地雷火の瀬踏みといい、古着の買込みといい旨い事をしましたんで、感心しました。

 

 

これが伏見鳥羽の戦争後、私の出逢ったお話でございます。

 

 

                                   

 

 

 

2016年11月19日に 「家康が奪った大阪城の莫大な黄金」 と題して大石慎三郎の文章を紹介しました。コチラです   ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12220336229.html?frm=theme

 

 

 

 

 

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