昔の合戦の兵の動員数は・・・ | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

「 丸谷才一と17人の ちかごろのジャーナリズム大批判 」

著者 丸谷才一ほか

青土社 1994年5月発行・より

 

 

~ 「国史大事典」 と 「日本史大事典」 ~

                               五味文彦 (ごみ・ふみひこ 歴史学者)

                               津本陽 (つもと・よう 作家) 

 

 

 

 

 

津本 戦国時代の小説を書いていますと、日本の国力は、世界のなかで

    超大国だということがわかります。

 

 

    結局、徳川時代に国力が衰えて、それが常識になっていますが、

    それ以前の戦国期の下克上の時代のエネルギーたるや、すさまじ

    いものですね。

 

 

    日本にはそうした、ずっと以前の歴史の流れがあった。

 

 

丸谷 アメリカのゴールドラッシュ以前の世界で、あんなに金が出た国は、

    日本以外にはないんでしょう?

 

 

津本 明国は、日本の二十数倍の国土を持っていましたが、秀吉が出兵

    したときの人口は六千百万人といわれます。

 

 

    そのとき日本の人口は四千万人に接近していたという説もあり、

    その日本からザクザクと金が出たら、これはたいへんな国力です

    ね。

 

 

    その当時のヨーロッパで、ルイ王朝の最大動員数が二万のときに、

    日本は五万人以上の兵隊を動かせる大名が5~6人いましたから

    ね。

 

 

    戦国時代の小説を書いていますと、異様な感慨を受けざるを得ない

    んです。

 

 

 

                                  

 

 

 

「 ことばの力(ちから) 」

外山滋比古 (とやま しげひこ 1923~)

毎日新聞社 昭和58年7月発行・より

 

 

 

 

 

 メーデーの人出もそうだが、人がたくさん集まると、多少とも数え方が気になるのは、いまも昔も変りがないのかもしれない。

 

 

 『平家物語』 を読んでいると、ものすごい大軍が動いている。

 

 

富士川の合戦(巻五)では、三万騎で都を出た平家が、途中で兵を加えて七万騎で富士川へ着く。

 

 

片や頼朝の源氏勢は 「その勢二十万騎」 とある。

 

 

こういう大軍と大軍が、どのような戦をするのか、まるで見当もつかない。

 

 

もっとも大軍ということにかけては 『平家物語』 は 『太平記』 の敵ではない。

 

 

こちらには万単位の大軍がごろごろしている。

 

 

「近國ノ兵馳集ル事雲霞(うんか)ノ如ク也・・・・・」 (巻第八) とか、

「雲霞ノ如クニナビキタル三十万騎」 (巻第三) とかあるが、

 

もっとも目ざましいのは 「関東大勢上洛事」(巻第六)のくだりに出てくる相模入道の派遣した軍勢で、諸国の兵を加えてその数何と 「八十万騎」

にふくれ上がったという。

 

 

 

『太平記』 の作者も少し気がさしたのか 

「日本小國ナリトイヘドモ此程ニ   人の多カリケリト始テ驚クバカリ也」 

と驚いて見せているのはごあいきょうだ。

 

 

 

 その当時、わが国にどれ位人口があったか知らないが、八十万騎が出陣したら、あとはどうなっただろうかと心配になる。

 

 

明らかに話が大き過ぎるが、いわば”主催”側発表の数字に尾ヒレがついたものと思えばいい。

 

         ~主催者側の数字・昭和52年3月 「サンケイ新聞」~

 

 

                                   

 

 

2020年1月8日に 「応仁の乱以後の社会変革と経済成長」 と題して堺屋太一の文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12528726723.html?frm=theme

 

 

 

 

 

 

                              5月21日の奈良公園