ロシアの二人の大統領とKGB | 人差し指のブログ

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KGP=ソ連国家保安委員会1954年からソ連崩壊1991年)まで存在した

ソビエト社会主義共和国連邦情報機関秘密警察。軍の監視や国境警備も担当していた。

東西冷戦時代にはアメリカの中央情報局(CIA)と一、二を争う組織と言われていたが、ソ連崩壊と同時に共和国間保安庁(現在のロシア連邦保安庁)、中央情報庁(現在のロシア対外情報庁)、連邦国境庁(現在のロシア国境軍)などに権限を移行した。     ~ウィキペディアより

 

 

 

 

「 知の教室 教養は最強の武器である 」

佐藤優 (さとう まさる 1960~ 元外務省職員)

株式会社文藝春秋 2015年8月発行・より

 

 

~ インテリジェンス力とは何か? 情報戦を制する世界の常識 ~

               西木正明 (にしき まさあき 1940~ 小説家)

 

 

 

 

佐藤 KGBと戦争したエリツィンはやっぱりすごい人なんですよ。

    彼は二度 KGBに殺されかかっている。

 

 

ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィン1931年 - 2007は、ロシア連邦政治家。初代ロシア連邦大統領及び初代ロシア連邦閣僚会議議長(首相)を務めた。

大統領在任中にソ連8月クーデターに対する抵抗とソビエト連邦からのロシアの離脱を呼びかけてソビエト連邦の崩壊に導いた評価と共に、ロシアの威信の低下・腐敗した縁故資本主義・議会と対決する強権的な政治手法・チェチェン紛争の泥沼化への批判もあった。 ~wikipedia

 

 

 

    エリツィンは酒好きなんだけど、ロシア的基準ではあまり強い方じゃ

    ない。

 

 

    三本くらい飲むと出来上がって、あたりかまわず小便を撒き散らす

    悪い癖が有名でした。

 

    それから女性に襲いかかることもあるんですよ。

 

 

西木 でも、できないでしょう。

 

 

佐藤 多分できないと思います。でも好きなタイプはハッキリしていて、

    ウエスト、バスト、ヒップがぜんぶ110センチくらいという女性。

 

 

西木 ほとんど丸太みたいな、ズドーンとしたタイプですね。

 

 

佐藤 大統領府の掃除のおばさんとか、賄いのおばさんを誘うんですね。

    ウラルの農村にいたころを思い出すんでしょう。

 

 

    そんな女性と酔っ払って楽しく歩いているところを、KGBに川へ突き

    落とされたんです。

 

 

西木 ハハハ、ほんとに?

 

 

佐藤 これはエリツィンの側近だってブリブリス(元国務長官)から聞いた

    話ですが、エリツィンは激怒して暗殺未遂だと国会で騒いだ。

 

 

    そうしたらゴルバチョフは 「KGBを呼んで ’前後の状況もふく め

    て’説明させようか」 と逆ねじを食わされてエリツィンは黙っちゃっ

    たんだけれど (笑)。

 

 

    そのあとが彼のすごいところで、KGBを絶対に許さないんです。

 

 

西木 ほう。

 

 

佐藤 エリツィンは権力を握ったあと、KGBを潰すつもりでいた。

 

 

    側近グループはインテリジェンス体制が完全に崩壊するのを避ける

    ため、KGBを対外諜報庁と連邦保安省に分割します。

 

 

    で、エリツィンの怒りの矛先は主に国内担当の保安省に向かいま

    す。

 

 

    防諜庁、連邦保安庁(FSB)など、、幾度となく名称が変り、内部の職

    員は、一ヶ月に一回人事異動、二ヶ月に一回機構改革があったと嘆

    いてました。

 

 

西木 それは大変だな。

 

 

佐藤 エリツィンの在任八年間ずーっとそれが続いた。

 

    それを止めさせたのがプーチンですよ。

 

 

    プーチンが連邦保安庁の長官になって初めて、

    「大統領、これではチェチェン独立派との戦いに勝てません」 

    と言って無意味な人事異動を止めさせたんです。

 

 

西木 いま思い起こすと、私のようなもの書きにとって、エリツィン時代は

    最高でした。

 

 

    情報公開の点でいったら、1991年からの5,6年は世界中で最も

    オープンな国はロシアという時代でしたからね。

 

 

佐藤 あの時代はアーカイブスの資料を金で買えた。

 

 

    エリツィンが西側諸国に感謝の念を持っていたことが大きいと思い

    ますね。

 

 

    ソ連が崩壊した原因のひとつは紛れもなく西側の対ソ謀略ですが、

    そうした流れの中で政権を獲ることができたという自覚がエリツィン

    の中にはあったはずなんです。

 

 

    だから彼は西側の情報機関やマスコミ、人権団体には基本的に好

    意的だったんですね。

 

 

西木 たしかに、エリツィン時代は頼むとどんな資料でも出てきましたね。

 

    プーチン政権になってからピタッと取れなくなった。

 

 

佐藤 プーチンはエリツィンとは逆ベクトルの政治家ですから。

 

 

    彼はベルリンの壁が崩壊した時に、なぜソ連軍は出動しないのかと

    地団駄を踏んだ口ですよ。

 

 

    それでKGBに幻滅して政治家に転身する決意をしたわけで、

    エリツィンとは発想がぜんぜん違う人なんです。

 

 

                                      

 

 

2017年10月27日に 「竹村健一のラジオ番組とソ連のスパイ」 と題して竹村と佐藤優の対談を紹介しました。コチラです。 ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12320896752.html

 

 

 

 

 

 

                               4月24日の興福寺