小樽市民は石川啄木が大嫌い  | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

「 日本の町 」

丸谷才一 (まるや さいいち 1925~2012)

山崎正和 (やまざき まさかず 1934~)

株式会社文藝春秋 1994年11月発行・より

 

 

~   小樽       「近代」への郷愁  ~

 

 

 

 

 

山崎 ある人の話を聞いたら、あの町(小樽)では、自分で稼がない人間を

    軽蔑する風潮があるんだそうですね。

 

 

    つまり悪くいえば実利主義、よくいえば自助の精神ですね。

 

 

    これはまさにアメリカの開拓期の思想です。

 

 

丸谷 そうそう、それで思い出しました。

 

 

    ぼくの友だちが、去年かおととし小樽に行った。

    そしてタクシーに乗って、

    「たしか石川啄木は小樽に来たんだっけな」 と連れと話をしてい

    た。

 

 

    そうしたら運転手がじろりと振り向いて、声をかけて、

    「お客さん、小樽に来たら啄木の話はしないほうがいいですよ、あい

    つは評判の悪い男で、私も大嫌いです」 

 

 

    「へーえ、どうして嫌いなの」 って訊いたら、

    「あの男は人に迷惑ばかりかけて、借金して、夜逃げした男です。

    けしからんやつです」 と答えたというのです。

 

 

    彼にいわせると、小樽の実利的気質は、これをもっても察することが

    出来るというんだけど、そういう戦前的な、文学者を軽蔑する風潮が

    いまだに残っているというのは、むしろ非常に立派なことだと思いま

    すね。

 

 

山崎 日本中で、啄木という詩人はわけもわからず あがめられて いるで

    しょう。

 

 

    だから一箇所ぐらい、啄木なんてものはくだらぬ詩人で、くだらん人

    間だという土地柄があってもいい。

 

 

    それが私の言った、日本的なものを津軽海峡になげうった爽やかさ

    と一脈通じるんですよ。

 

 

丸谷 そうそう。まあ一つにはね、その運転手の説は、かなり意識的に

    啄木の問題を考えたんでね。

 

 

    もっと普通の小樽市民は、

    「悲しきは小樽のまちよ、歌うことなき人々の声の荒さよ」 

    の一首のせいで、小樽の悪口をいったから憎いという単純な態度で

    啄木を嫌っているようですね。

 

 

    この歌がはたして小樽の悪口かどうか、ぼくはかなり疑わしいと思う

    んですけれどね。

 

 

    しかしそういう文学に対する無理解というのも、またなかなか尊いも

    のがあって、いいことですよ。(笑)

 

 

山崎 なるほどあの町は、歌を知らない、声の荒い町であったかもしれな

    いけれども、小林多喜二と伊藤整という、日本の近代を代表する

    作家を二人生んでるんですね。

 

 

    つまり近代というものの暗黒面を徹底的に糾弾した作家と、近代そ

    のものを足場にして、儚(はかな)いような、明るいような、不安なような

    不思議な文学を作った作家と、ちゃんと二人生んだということは、

    これは立派な町だったと思いますよ。

  

                     (くりま 昭和55年 秋期号 NO2 ) 

 

                                   

 

 

2016年5月12日に ~「ダメ人間・石川啄木」 と先輩の海軍大臣~ と題して山田風太郎の文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12158177061.html

 

 

 

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12298261607.html?frm=theme

 

 

 

2017年12月18日に ~「太宰治が嫌いな理由」 三島由紀夫~ と題して三島の対談を紹介しました。コチラです。 ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12329114726.html?frm=theme

 

 

 

 

 

                            3月11日の奈良県庁付近

                鹿が動かないので車は避けていきます。