一向一揆を治めるには「文化」  | 人差し指のブログ

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「 日本の町 」

丸谷才一 (まるや さいいち 1925~2012)

山崎正和 (やまざき まさかず 1934~)

株式会社文藝春秋 1994年11月発行・より

 

 

 

 

 

山崎 前田が金沢に入ったのは家康の代になってからですか、秀吉の段

    階ですか。

 

 

丸谷 最初は能登に入って金沢に移ったんですが、加賀を領したのは秀

    吉の時代でしょう。

 

 

山崎 しかし、むずかしいところへ置かれたもんですよね。

 

 

    北陸は昔から京都と対立する勢力の基地となって土地だし、近くは

    一向一揆の巣窟(そうくつ)でしょう。

 

 

 一向一揆 ~ goo辞書

室町・戦国時代に近畿・北陸・東海地方に起こった一向宗浄土真宗)門徒の一揆

僧侶、門徒の農民を中心に、名主地侍が連合して、守護大名荘園領主と戦った。

加賀一揆のように一国を支配したものもあったが、天正8年(1580)の石山本願寺に対する織田信長の石山合戦を最後に幕を閉じた

 

 

    そこへ配したんだから、秀吉は、前田利家を内政・統治の名人だと

    いうふうに見てたんでしょうね。

 

 

丸谷 一向一揆というのは大変ですもんね。

    武力だけで戦えば いい という性格のものじゃない。

 

 

    もっとこみいっていて、ひどくやっかいな数式を解くような話でしょう。

 

 

山崎 戦国時代の戦争というものは ちょっとゲームみたいなところがあっ

    て、負ければ まいったという作法がきまっている。

 

 

    ところが一向一揆だけは本気で戦争する。

    一種のイデオロギー戦争ですからね。

 

 

    おそらく信長だって一向一揆で一番ひどい目に遭ってるし、秀吉も

    それを見て知っている。

 

 

    彼らから見ると、そんなのあるかというような戦争をするわけです

    よ、一向一揆は。

 

 

    だから おそらく こわかったでしょうね。

 

 

丸谷 悪くするとゲリラ戦みたいなことに なってしまう。

 

 

    だから利家は、もっと多面的な外交交渉に練達の男だと思われたん

    でしょうね。

 

 

    普通の武将相手の戦いだったら、答えは非常に簡単で一元的にい

    くけれども、そうじゃないですからね。

 

 

山崎 そうですね。そして、そのあと前田家が加賀を治めて金沢をつくって

    いった いき方というのは、典型的に専守防衛ですね。

 

 

    町のつくり方そのものが、城下町はどこでも多少はその傾向があっ

    たとしても、利家は本当に守るにやすく攻めるにかたい城をつくっ

    たでしょう。

 

 

丸谷 たしかに金沢は非常に軍国主義的な町のつくりだと思った。

 

 

山崎 そうなんですが、それもあくまでも専守防衛的軍国主義。

 

 

    町自体が狭い道を曲がりくねらせていて、しかもやたらに袋小路が

    ある。

 

 

    だから金沢には今も暴走族がいないといわれるのですが、迷路にし

    て、まっすぐに攻め込めないように設計してあるわけですね。

 

 

    かたわら、これも少し講談ダネめくけれども、徳川家に対して二心が

    ないことを示すために盛んに文化振興の奨励をやる。

 

 

丸谷 そうそう。

 

 

山崎 徳川家向けということは、おそらく半分ぐらいは真実だろうと思うん

    です。

 

 

    しかし、ひょっとすると前田家というのはもう少し高等戦術を心得て

    て、一向一揆が荒れ狂った土地、非常に理屈っぽくて、権利の主張

    が強い土地柄へよそからやってきた、これを治めるのは文化しかな

    いと思ったかもしれない。

 

 

丸谷 なるほど。 イデオロギーを退治するには武力ではまずい。

    そうじゃなくて、たとえばお茶であるとか・・・・。

 

 

山崎 能であるとか。ちょうど戦後日本の文化国家の建設と同じで、外に

    対するイメージ戦略でもあったろうけれども、内治政策でもあったの

    ではないか。

 

 

丸谷 なるほど、それは非常に卓見だな。

 

 

    そのせいで、金沢に行くと、いまでもむやみやたらに抹茶を飲まされ

    る (笑)。

 

 

 

~ 金沢    江戸よりも江戸的な (くりま 昭和55年 夏季号 NO1) ~

 

 

 

                                                

 

 

 

2019年2月7日に 「室町時代の文化的統治能力」 と題して山本七平と山崎正和の対談を紹介しました。 コチラです。 ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12380657665.html

 

 

 

 

 

9月8日の奈良の鹿            猿沢池の隣の結婚式場の入り口

 

                                     奈良公園

 

 

 

9月9日の奈良の鹿                    猿沢池

 

                                     奈良公園

 

          雄鹿の角の表皮が剥がれて先端が鋭くなっています

 

                            角を切られた雄鹿