「 穢(けが)れと茶碗 日本人は、なぜ軍隊がきらいか 」
井沢元彦(いざわ もとひこ 昭和25年~)
祥伝社 平成6年7月発行・より
山田浅右衛門という首切り役が、代々世襲で江戸幕府の死刑執行を行ったということは、ご存じの方も多いと思います。
劇画にもなったほどで、かなり有名な事実です。
つまり、幕府が判決を下した死罪人・死刑囚のうち、町奉行の管轄下にある人間については、山田浅右衛門が首を切るのです。
ところが、この山田浅右衛門は、当然幕府の役人なのかといえば、実は幕府の役人ではありません。 身分は浪人です。
本当は浪人なんですが、たまたま幕府の御用をつとめさせていただいている、という形になっているのです。
しかし外部の人間から見ますと、たとえば外国人が見たら、山田浅右衛門というのは、幕府の首切り役人であるとしか見えないでしょう。
しかし、実際はそうではないのです。
名目上は山田浅右衛門の身分はあくまで浪人であり、その浪人がたま
たま選ばれて、幕府の首切り役を代行しているという形になっている。
しかも、その役目は、代々世襲で受け継がれているのです。
つまり、江戸幕府というのは、そうした町人や浪人の死刑囚の首を切るという穢(けが)れた仕事を、幕府の直属の役人にはさせなかったということです。
では、いわゆる今で言う警察にあたる部分はどうなのかというと、ご存じのように与力(よりき)、同心という人間が町奉行の配下にいました。
ところが、この与力、同心には非常な特徴があります。
というのは、与力、同心は一代限りというのが原則で、しかも他の役職には就(つ)くことができませんでした。
(略)
江戸時代というのは、原則的に世襲で、身分が固定している社会ですから、一代ごとに採用されるというのは非常に珍しい制度です。
つまり、こうした役人というのは、いわゆる犯罪という穢れにタッチする
人間ですから、いわゆる旗本や御家人(ごけにん)、つまり幕府の直属の家来とは別の扱いをするということです。
この証拠になる言葉が一つあります。
「不浄役人」 という言葉です。
不浄というのは、文字どおり 「清められていない」 ということです。
(略)
つまり不浄というのは、穢れている存在です。
だから不浄というわけです。
これは、いわゆる刑事警察にあたる役人というものが、伝統的に穢れたものとして扱われていたということを、はっきり示しているものです。
4月10日の奈良公園