「 ほめそやしたりクサしたり 」
高島俊男 (たかしま としお 1937~)
大和書房1998年7月発行・より
初めて中国へ行った時のことは忘れられない。
1978年、ふつうの日本人が、お金を出せば中国へ行けるようになったばかりのころである。
(略)
夜、汽車で上海を離れて北へむかった。
夜があけそめたのは汽車が河南平原に入ってからである。
寝台車の廊下に出て窓から外を見ると、見渡すかぎり、茫々と茶色が広がっている。
何だかわからないが、とにかく一面に茶色なのである。
だんだん明るくなってきて、それは土の色だとわかった。
(略)
無理もない、土を練って固めて日乾しレンガを作り、それを積んで家を作っているのだから、地面と家とはまったく同じ色なのだ。
(略)
そのうちに、家の前あたりで何かモゴモゴと動いているものが見えてきた。 人であった。
(略)
そういう人たちに、最も端的に 「美しい」 と感じられる色は何かといえば、それが渋い色や淡い色であるはずはなく、必ずや強烈にあざやかな、きらびやかな色であるにちがいない。
(略)
そんなわけで中国の人たちはあざやかな赤や緑が大好きであるが、実は昔から、最も価値の高い、尊貴な色とされてきたのは、赤でもなく緑でもなくて、黄色なのである。
あまりにも尊い色なのでふつうの人は用いることがことが許されず、皇帝に独占されてしまっていたほどであった。
昔の戯曲や小説で 「黄」 という字が見えたら、まず皇帝がお出ましになったと考えてよい。
(略)
これはずいぶん古くからであるようで、三千年前ごろにはすでにそうだったらしい。
『尚書』 に見える周の武王は 「黄鉞(こうえつ)」 すなわち黄色いまさかりを持って顕われる。
以後、黄色い服を着ることは皇帝の特権であり、したがってまた 「黄袍(こうほう)」 (黄色い上衣)といえば皇帝のことにきまっているのである。
建物を黄色く塗ったり、屋根に黄色い瓦を使ったりすることも、皇居以外には絶対許されない。
(略)
そんなことであるから、逆に、黄色は叛逆の意思表示にもなる。
つまり、皇帝でない人間が何か黄色を使うということは、「皇帝を倒して取ってかわるぞ」 という決意を表明したことになるのである。
後漢末の 「黄巾(こうきん)の乱」 の参加者たちはみな頭に黄色いハチマキを目印とした。
これはもう、殺されるか、現王朝を倒して新王朝を立てるか、二つに一つの場にみずからを置いたということなのである。
唐末の 「黄巣(こうそう)の乱」 の参加者たちは黄色いよろいを身につけた。
(略)
ところが二十世紀に入ると、この黄色の値打ちは大々的に下落してしまった。
今日では 「黄色(ホワンソー)」 と聞いただけで、人々は眉をしかめる。
あるいは、聞くもけがわらしい、とそっぽを向く。
いや、皇帝がいなくなって赤旗の天下になったからではありません。 それは関係ない。
イエローということばがアメリカから入ってきて、それが 「黄色(ホワンソー)」 と訳されたからなのです。
現在の中国では、「黄色(ホワンソー)」 というのはだいたい日本語の 「ワイセツ」 「エッチ」 などにあたることばである。
つまり 「下流(シアリウ)」(卑猥)の同義語である。
黄色は、十九世紀までの最尊貴から、急転直下、最下劣に落ちてしまったわけだ。
もっとも厳密に言うと、昔の最尊貴の黄色は、皇居の宮殿にせよ皇帝の衣服にせよ、本当に黄色い色をしていたのだが、今日の 「黄色(ホワンソー)」 は本当に黄色いわけではない。
感覚的な形容である という違いはある。
アメリカで 「イエロー・ジャーナリズム」 とか 「イエロー・ペイパー」 とかいうものが生まれたのは、十九世紀末葉のことらしい。
それが 「イエロー」 と呼ばれるのは、『ザ・ニューヨーク・ワールド』 という新聞の一面に 「イエロー・キッド」 という題の漫画が連載されていたからだという。
もっともイエロー・ペイパーは必ずしもワイセツ新聞ではなく、スキャンダルや猟奇的記事を多くのせて大衆の興味を刺激したものであるらしいが、そのイエローが中国に輸入されて、「黄色(ホワンソー)」 になると、もっぱら色情ないしはワイセツの意味で用いられるようになった。
ただし、中国の黄色(ホワンソー)がわが国のワイセツにあたるといっても、その指すところは相当に程度がちがう。
中国人は日本人にくらべると、男女の倫理についてはよほど潔癖、あるいは保守的であるから、日本人にとってはさほど珍しくもないことが中国人にとっては 「黄色(ホワンソー)」 なのである。
たとえば裸婦の絵や彫刻も、映画の接吻シーンも、中国人にとっては十分に 「黄色(ホワンソー)」 である。
(略)
たとえば、毛沢東が死んだあと、失脚した毛沢東夫人を人格的におとしめるために、中国の新聞が 「彼女は自邸内で欧米の黄色電影(電影は映画)を上映した」 と書いた。
日本の新聞はそれを 「ポルノ映画」 と訳した。
とんでもないことだ。
毛沢東夫人は、多少権勢欲は強かったのかもしれないが、まぎれもなく
中国の夫人である。
自宅でポルノ映画を上映したの見たのなんてことがあり得るかどうか、
考えてもわかりそうなものだ。
彼女が見ていたのは、恋愛を題材にしたごくふつうの映画 たとえば 『カサブランカ』 とか 『ローマの休日』 とか 『旅情』 とかいった である。
毛沢東夫人に対する中国共産党の罵詈雑言は、見ていて胸くその悪くなる卑劣なものだったが、日本の新聞の翻訳は、それをさらに漫画的に増幅した、無知にしてかつ無恥なるものであった。
3月3日の奈良公園
大仏殿の北(裏)側