「利休の死」と「朝鮮出兵」の関係  | 人差し指のブログ

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「 脱亜入洋のすすめ       山崎正和対談集 」

山崎正和 (やまざき まさかず 1934~)

株式会社 ティビーエス・ブリタニカ 1995年6月発行・より

 

 

 

  利休がめざし、挫折したもの 会田雄次あいだ ゆうじ 1916~1997)

 

 

 

 

山崎 これはまったくの想像ですが、利休は博多と仲が悪かったんだろう

    と思うんです。

 

 

    彼が殺された動機の一つに、秀吉がルソンを攻めるか、大陸を攻め

    るかというチョイスがあったと考えるわけです。

 

 

会田 朝鮮出兵が、利休を死に追いやった大きな一因だったというわけで

    すね。

 

 

山崎 そうです。キリシタンがたくさん入ってきていますが、それに対抗して

    ルソンを攻めるというのが一つのチョイスなんですね。

 

 

    ルソンを攻めていれば、その動員力と軍事力で秀吉が勝ったかも

    しれない。

 

 

     もう一つは大陸を攻めるということで、これが朝鮮出兵ですね。

 

 

    その際に、どうもキリシタンの宣教師たちは一所懸命キリシタン大名

    を通じて大陸攻めを勧めたらしい。

 

 

    これは証拠がいろいろあって、現に小西行長はキリシタン大名です

    けれども、従軍司祭がいた みたいですね。

 

 

    宣教師みずから攻めていってるわけです。

 

 

     ところが商人の立場から考えますと、堺商人はルソンを攻めたほう

    が あきらかに儲けになる。

 

 

     朝鮮を攻めれば儲かるのは博多ですからね。

 

 

    そこで利休は、大陸攻めに反対したんじゃないかと思うんです。

 

 

    それから、利休は盛んに今焼きの楽茶碗なんかをつくらせていまし

    た。

 

 

会田 それで、相当の金儲けをしたらしいけれど。

 

 

山崎 そうです。これは、「もう中国の陶器なんか必要ない」 という、利休

    の暗然の主張ですね。

 

 

    それに対して秀吉が朝鮮、中国を攻めるということは、実利的な意

    味もあるけれど、一つの文化的権威の主張でしょう。

 

 

    それを否定されたわけですから、秀吉はカチンときた。

 

 

     それに、中国を占領してしまえば、中国から安い陶器がどんどん

    入ってきますから、利休は困りますよね。

 

 

会田 万暦赤江式の絢爛豪華なものがどんどん入ってきますからね。

 

 

    利休の侘の世界にそれに対立侵略者が入ってくることになる。

 

 

山崎 なんの物的な証拠もないけれど、朝鮮出兵と利休の死は関係が

    あったような気がするんですよ。

                          『プレジデント』 89年9月号

 

 

                                                   

 

 

 

2019年5月6日 「朝鮮出兵はキリシタン撲滅のため?」 と題して遠藤周作の発言を紹介しました。コチラです。  ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12458241567.html

 

 

2017年6月24日に 「猫も一緒に朝鮮出兵 」 と題して加瀬英明の発言を紹介しました。コチラです。 ↓

 
 
 

 

 

                              2月15日の奈良公園