「 対論 たかが信長 されど信長 」
著者 遠藤周作・津本陽・江坂彰・今谷明・山室恭子・高橋剱破
吉田蒼生雄・藤田昌司・尾崎秀樹・會田雄次・辻邦生
株式会社 文藝春秋 1992年6月発行・より
[ 遠藤周作 ] あれだけ皆が忌避していたにもかかわらず、なぜ敢えて
出兵したかという点が一つ。
それからなぜ西国大名で家康とか前田とかは徴兵を免れて、九州の大名ばかりが送り出されたかという謎が一つ。
これは私の考えだけど、第一軍団の連中はみんなキリシタン大名なんです。
つまりあれはキリシタン撲滅運動ではなかったのか、と。
その機に備えて、九州占領の頃からキリシタン大名をできるだけ九州に集めさせておいて、朝鮮征伐のときは前線に送り込もうという目論見が
あらかじめ あったんではないでしょうか。
キリシタン大名は消耗品扱いを受けたわけですね。
勿論、キリシタン撲滅運動は朝鮮出兵の理由のあくまでも一部であって、全部ではないですけど。
秀吉は一向一揆の恐ろしさを知り抜いていたし、それから九州へ行って、コエリユという宣教師がフスタ船*という武装船を持っていたことを知った。
*フスタ船 小型の南蛮船ではなく、ひじょうに小まわりのきく
戦闘力の高い軍艦であることに注意。天正15年の九州征伐の
とき、秀吉はこれを博多湾で見て、大いに感嘆する。
それからもう一つ、博多は遠浅で、進駐するのに南蛮船ではまったく役に
立たない。
そういうことから考えて、こいつら役に立たんと思い始めた。
秀吉は初めはキリシタンを利用しようとした。
しかしそのうちに彼らの中に日本軍事占領計画を薄々感じ始めて、あえてキリシタンたちを危険地帯に追いやろうとしたんではないか。
学者じゃないから、これも勝手に想像しとるんですがね。
同じようなことを中国の鄧小平もやっています。2017年9月20日に
「中国版・政敵を倒す方法」 と題して黄文雄の文章を紹介しました。
コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12310405589.html?frm=theme
宣教師を訊問した新井白石のことを 2019年1月27日に 「キリシタンは困る・新井白石」 と題して紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12385989904.html?frm=theme
朝鮮出兵には猫も連れていったそうです。2017年6月24日に
「猫も一緒に朝鮮出兵」 と題して加瀬英明の発言を紹介しました。
コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12285961325.html?frm=theme
今年再建された奈良 興福寺の中金堂と八重桜 4月20日撮影