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「 透きとおった迷宮 」

吉田直哉 (よしだ なおや 元 NHK プロデューサー 1931~2008)

株式会社文藝春秋 1988年5月発行・より

 

 

 

 

 うだるように暑い、カルカッタの うらぶれた広場。

 

 

(人が洗濯物を広げて持っているので・・・・・人差し指)

 

何をしているのか、とベンガル語の通訳にきいたら、即座に

 「洗濯ものの乾かし屋だ」  という返事である。

 

 

なるほど、布が西日に当るような向きに並んで立っている。

 

 

なにも人でなくても、木か柱でいいではないか、わざわざ人にさせることはないではないか、と 27年前の私は憤慨して通訳に言った。

 

 

今なら言わない。

 

 

あの言葉をきいたあとだから、黙って悲しくみつめるほかない。

 

 

「木や柱にさせたら、彼らの仕事がなくなるでしょう。

ほかに何もできないと知っているから、誰かがこの仕事を考えて、

彼らに与えたのです。

木や柱のほうがずっと安いのに」

 

 

 乏しい仕事を分けあった末、どうしてもはみ出した人間にも、最後の能が生かせるよう、つくられた職種なのであった。

 

 

酷使とか搾取と呼ぶのが必ずしも当らない場合もある、ということを私が

はじめて知ったのは、あの西日のなかだったと思う。

 

 

 

 

 数日後、私はベンガルの豪族の邸に招かれ、すべてが牛の乳だけからなる豪華なフルコースを御馳走になる機会に恵まれた。

 

 

さまざまな味わいの、微妙に異なる数十種のヨーグルト。

 

 

むかし日本で醍醐と呼ばれたものは、これか、それともこれか、などと液体から固体まで あらゆるヴァリエーションの乳酪の究極を堪能したのち、

ハバカリ を借りようと廊下へ出て、何の悪気もなく隣接した小部屋のすこし開いた扉をのぞいて、驚いた。

 

 

 あのカルカッタの乾かし屋ふうの男たちが、フウフウ言いながら全身を使って太い綱を引っ張ったり、ゆるめたりしているのである。

 

 

 乳酪製品の大盤ぶるまいを御馳走になった部屋の高い天井に、見事な絨毯が何枚も吊されていて、それが やがて巨大な ウチワのように前後に動き出して風を送ってくれたことは知っていた。

 

 

見上げて、風もくるけど埃も落ちてこないかな、などと思ったものである。

 

 

 しかし、愚かにも それが人力で動いているのだとは思わなかった。

 

 

あの、あるかなきかの風を生むためのこの大がかりな装置 !

まるで櫂を漕ぐ奴隷が並んだ、ガレー舟の船底ではないか。

 

 

しかもこの労働は、たった一人の客人である私に捧げられているのである。

 

 

 だが、驚きと居心地のわるさで棒立ちになった私の耳に よみがえったのは、このあいだの通訳の言葉だった。

 

 

「誰かがこの仕事を考えて、彼らに与えたのです。木や柱のほうがずっと安いのに」

 

 

 

        こんどは木や柱ではない。 電気だろう。 

電気扇風機をそなえたら、彼らの仕事はなくなってしまう。

 

 

大体、私がそのとき とっさに考えたように、

「こんな風はもったいなくて イヤです。 すぐ止めてください」

などと客人が言い出したら、彼らの仕事はなくなってしまうのである。

 

 

そう思うと、ますます複雑な気もちになった。

 

 

                                      

 

 

2017年11月22日に 「NHK職員、ホテルに女を呼ぶ?」 と題して同じ著者による文章を紹介しました。コチラです。 ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12327426911.html

 

 

 

                       奈良・東大寺鐘楼にて10月9日撮影