「台風の被害」と「他人の不幸」  | 人差し指のブログ

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「 屋根の花 大佛次郎随筆集 」

大佛次郎 (おさらぎ じろう 1897~1973)

六興出版 昭和55年1月発行・より

 

 

 

 

 24号台風が南の海で うろうろし、25号の方がお先に失礼と通り抜けて北にのぼって行ったころだったか、電車で横山隆一さんといっしょになって、台風の話となった。

 

 

横山さんは、台風ならば右か左を必ず通ると言う土佐の高知のひとで

ある。

 

 

 

 毎年のことだから、土佐の人は台風に慣れている。

どうすればよいかも知っていて、実に驚かず待っている。

 

 

横山さんは、こう話した。

 

 水だけは恐ろしいので、川が増水すると、青年団員が提灯(ちょうちん)

つけて川岸の土手に、ずっと並んで見張りに立つ。

 

 

溢水(いっすい)状態だから、井戸は水を吹きこぼれさせるし、川の土手は地面から水が湧いている。

 

 

濁流が土手と すれすれになる。

今にも堤防を越えるかと見ていると、急に、すーっと水がひいて低くなる。

 

 

これは向こうの岸の堤防がどこか切れて、水がそっちへ行ったことなので、それを見ると、提灯をつけて土手に散開して並んでいた青年団が  いっせいに、万歳をとなえる。

 

 

 横山さんはここで笑った。

「 今はそんなことは ないけれど、 僕らの子供の時分は そうだったんですよ。  万歳って どなるんだから、ひどい。

それで、こちらに水が出る心配がなくなったから、引き揚げて来るんです」

 

 

 

 南国土佐、酒飲みが多いところだ。

 

引き揚げて、すぐ布団にもぐり込むような男はいなかろう。

 

 

対岸の稲田が水をかぶり、家が流されていようが、こちらは万歳で、冷のままの酒もいちだんと、うまい。

 

 

 野生の人間の本性がむき出しになっているので、万歳とは、露骨だが 正直なので微笑をそそった。

 

 

文化人らしく うぬぼれている我々にだって、その性質がなくもない。

 

 

台風が自分の方へ来ないで、よそにはずれたとなると、そこで山くずれがあり、人死があり、田圃の収穫がゼロになったと知っても、心のどこかで 自分のために万歳を叫んでいる。

 

 

むろん遠慮がちだし、被害地帯に住む人たちを気の毒と知っているが、 小さな声で万歳である。

 

 

人間ってまだ、どこか残酷なものなのである。

 

 

 

 

                        8月20日 奈良市内にて撮影