「 言葉と礼節 阿川弘之座談集 」
阿川弘之 (あがわ ひろゆき 1920~2015)
株式会社文藝春秋 2008年8月発行・より
~ 鉄道は国家なり ~ 原武史(はら たけし 1962~)
阿川 高松宮妃殿下が、近年御病気勝ちで、いい本を読むのがいちばん
の楽しみとおっしゃるから、『大正天皇』 をお届けしたら喜んで
くださった。
何しろご自分の舅の生涯が詳しく書かれているんだから、それは
面白かったでしょうよ。
ただお若い方の本だから敬語は使ってありませんけど と申し上げ
ておきましたが (笑)。
原 申し訳ないです (笑)。 学者なものですから。
個人的には大正天皇に対しては同情を禁じ得ません。
天皇家は和歌を詠むのは当然なのですが、大正天皇はむしろ漢詩の
ほうが得意で、歴代天皇のうち最も多い千三百六十七首が確認され
ているといいます。
阿川 当時の新聞は大正天皇を持ち上げるというか、ただ畏れ多くもと
いう調子でばかり書いてるのと、少し違うのですか。
原 天皇になると縛りはきつくなるようですが、明治末期はまだ、皇太子
の肉声をそのまま報道しています。
今から見るとよくここまで出したなと驚かされます。
そこから皇太子の性格までもが窺える気すらします。
『大正天皇』 にも書きましたが、たとえば 『大坂朝日新聞』 による
と、明治四十四(1911)十一月兵庫県伊丹の軍事演習地から西宮
の演習地に向う途中、突然旧友の家を訪問します。
阿川 学習院時代の?
原 はい。桜井忠胤という人ですが、「桜井、演習は九時からだから其の
間又遊びに来た」 と言って現れて、「大層色が黒くなったではない
か、子供は幾人あるか」 と尋ねた (笑)。
阿川 そういう言葉が新聞に出ているとは面白いなあ。
原 最後は、「どうも騒がしたなア 桜井、又来るよ」 (笑)。
桜井さんは突然のことで、信じられない。這いつくばるようにして、
「今回は恐れ多き光栄を賜り誠に恐縮に存じ奉る」
としどろもどろ言うのを制して、
「今度は軍人となって来たのだから恐縮だの恐れ多いだのは止め
にして呉れ、そう慇懃では困る」 (笑)。
阿川 いいねえ。
原 「お前は学校に居る時、俺と鬼ごつこの相手ではないか」
と言って、勝手に邸内を歩き回っているうちに肝心の演習に遅刻
してしまう。
阿川 桜井さんは兵庫に住んでいたのですね。
原 西宮の岡田山です。どうしてそこに旧友の家があることを知ったのか
が不思議ですが。
ただ 『原敬日記』 を読むと、十一月に福岡県で行われることに
なっていた陸軍特別大演習に原が同行するかどうかを確認したうえ
で、翌年の滋賀県での演習では抜け駆けで そば屋に突然入ったと
ころを、地元の新聞に書かれてしまう (笑)。
『諸君!』 2004年1月号
奈良公園の猿沢池にて 8月5日撮影