動植物を知らない三島由紀夫  | 人差し指のブログ

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「 声の残り 私の文壇交遊録 」

ドナルド・キーン (1922~2019) 訳者 金関寿夫

朝日新聞社 1992年12月発行・より

 

 

 

 いつか私は、彼のある作品の取材に、ついて行ったことがあった。

 

 

1966年の夏、彼の最後の小説となった四部作の第二巻 『奔馬』 の

材料集めをしていた時のことだ。

 

 

私たちは、奈良県桜井にある大神(おおみわ)神社を訪れた。

 

 

この神社は、作品中最も大事な舞台となるはずの場所だったのだ。

 

 

上の大鳥居に続く石段のふもとでタクシーを降りると、その瞬間から、三島は、ノートを手にして、目に入るものことごとくを、いそがしげにノートを取ったり、写生をしたりしていた。

 

 

しかも彼がこの神社に来たのは、それが初めてではなかった。

 

 

つまり小説の中に描かれているものは、なにもかも、実際のものと完全に一致していなければ、彼は気がすまなかったのだ。

 

 

結局私たちはこの大神神社で、三日を過ごした。

 

 

 その間三島は、彼の小説の年、昭和七年当時の神社の様子を知りたがっただけではなく、自分の作中人物の心の状態と、自分自身のそれとを合致させようという努力もしていた。

 

 

例えば、神主自身は、境内にいくつもある小さな社の前を通る度に、形だけのお辞儀をしてさっさと通り過ぎるだけだったが、三島のほうは、社の前でいちいち立ち止まって、当時の青年将校がやったでもあろうように、直立不動の姿勢で最敬礼をしていたものだった。

 

 

 

 私は、三島の取材に関して、ある忘れ難い逸話を、しばしば友だちに語るのだが、信じてくれる人は、まことに少ない。

 

 

三島は、目に入るものすべてについて、訊く くせがあった。

 

 

彼は一人の年輩の庭師に、近くの木を指して、それが松の木かどうかを確かめようとした。

 

 

松を知らない日本人が、この世にいようとは想像もできなかったその庭師は、多分松の種類を訊かれたのだろうと判断して、これは雌松ですよ、と答えた。

 

雌松=アカマツの別名

 

そこで三島はちょっと考えてから、再び訊ねた。

「これ全部が雌松ですか?」

庭師は、そうですよと答えた。

 

 

すると三島は、もういちど訊いた。

「全部が雌松だとすると、松の子はどうやって生まれるの?」

 

 

 

 

 その晩、神社の離れの部屋で寝ていると、遠くのほうで物音がした。

 

「あれはなんの音?」  と隣室の三島が襖ごしに訊いた。

 

「蛙の声でしょう」 と私は答えた。

 

 

しばらくあって、今度は犬の吠え声が聞こえた。

 

そこで私は、「これは犬ですよ」 と言った。

 

すると三島は、笑いながら、「そのくらいは知ってますよ」 と言ったものだ。

 

 

 

作品中では、自然の風物を表現するすばらしい才能を持っているのに、

実生活の三島は、最もありきたりな動植物についても、驚くほど無智だったのだ。

 

 

徹頭徹尾、彼は都会っ子だったのである。

 

 

                                                                             

 

 

夏目漱石は田圃の稲が米に成るということを知らなかった と友人の正岡子規が 書いています。

 

 

        余が漱石と共に高等中学に居た頃漱石の内をおとづれた。

 

       漱石の内は牛込の喜久井町で田圃からは一丁か二丁しか

       へだたってゐない処である。

               漱石は子供の時からそこに成長したのだ。

 

         余は漱石と二人田圃を散歩して早稲田から関口の方へ

       往ったが大方六月頃の事であったらう、そこらの水田に植ゑ

       られたばかりの苗がそよいで居るのは誠に善い心持であった。

 

       この時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰ふ所の米は

       この苗の実である事を知らなかったといふ事である。

                                                                                『墨汁一滴』

 

 

 

~私は都会育ちの漱石がわざと知らないふりをして田舎者の子規をからかったのではないかと思っているのですが。

 

 

 

 

修学旅行の生徒たちも よく見るように なりました。

10月6日の猿沢池付近