昭和十年は良かった  | 人差し指のブログ

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「 言葉と礼節 阿川弘之座談集 」

阿川弘之 (あがわ ひろゆき 1920~2015)

株式会社文藝春秋 2008年8月発行・より

 

 

日本の将来を想う  半藤一利(1930~) 養老孟司(1937~) 阿川弘之 

 

 

 

半藤 阿川さんにお聞きしたいんですが、昭和4年にウォール街の株価の

    大暴落があって、世界中が大恐慌に巻き込まれた。

 

    日本では昭和6年に満州事変があって、翌年満州国を建設して、

    昭和8年ぐらいが日本の国力のピークじゃないかと言われているん

    ですが、どう思われますか。

 

 

阿川 昭和10年ぐらいがピークじゃないかな。

 

    丹那トンネルが開通したのが昭和9年、特急「つばめ」 の食堂車に

    冷房が入ったのが昭和11年でしょう。

 

 

    そこから考えるとね、昭和戦前は暗い暗い時代だとか、十五年戦争

    とかいうけれど、あれ嘘なんですよ。

 

 

    もちろん言論の自由の弾圧とかいろんな いやなことがあったけど、

    一般の中産階級の生活は、わりに豊かで、世界の先進国の水準に

    近づいていたんです。

 

 

    だから、なぜ いくさを避けてあのまま国力の充実につとめようと

    しなかったか、惜しいといえば実に惜しい。

 

 

半藤 そうなんですね。

         世界がまだ大恐慌の後遺症に苦しんでいるときに、日本はさっさと

         脱して豊かになって、経済的指数も上がっていた。

 

 

    日本橋の高島屋ができたのが昭和八年なんですが、全館冷暖房

    だったそうです。

 

 

阿川 冷房があったかなあ。僕の記憶では、デパートには大きな氷が立て

    てあって、中に金魚がいた。  触るといい気持ちなんだ。

 

 

半藤 でかい氷の柱に頭を付けてね(笑)。養老さんは覚えていませんか。

 

 

養老 私はデパートに行きませんでした。

 

 

半藤 高島屋だけが冷暖房だったらしいんですが、ともかくそれだけの

    ものが日本にできていたというんです。

 

 

阿川 南満州鉄道の 「あじあ号」 が完全冷暖房でね。

 

    僕も何度か乗ってますが、ときどき冷房が故障するんですよ。

 

    窓が開かないから、夏はものすごく暑くなるんだ(笑)。

 

 

半藤 だから戦前の昭和を見ても、あんまりぎしぎしと暗い感じじゃないん

    ですよね。

 

 

悪くなるのは、やはり二・二六事件(昭和十一年)の後でしょうか。

 

                『文藝春秋特別版』 2005年8月臨時増刊号

 

 

 

 

 

            雲間の太陽 昨年12月29日 奈良公園にて撮影