「 エンゼル叢書 ⑩ 国境を越えた源氏物語 紫式部とシェイクスピアの響きあい 」
著者 岡野弘彦 / ピーター・ミルワード / 渡部昇一 / 松田義幸
江藤裕之 / 須賀由紀子 / 江口克彦
PHP研究所 2007年10月発行・より
ウェイリー訳が紹介した「日本文明」の姿 ● 渡部昇一/(聞き手)松田義幸
[ 渡部昇一 ] 世界のどの時代でも、争いがあるところでは男性中心の
文化、あるいは文明になります。
ところが、平安朝は世界にも希な平和な時代でした。
当時の日本は大国です。大国でありながら、死刑がない。
そういう平和な時代が長く続きました。
その背景には、やはり揺るぎなき皇室のもとで、貴族制度が定着したことがあるのです。
私は、世界の宗教は先祖崇拝を主にしたものだと考えています。
ギリシャ神話、ゲルマン神話、日本神話も、神々がいて、神々の系図に連なって人間の王様が出てきます。
しかし一神教では、そういう先祖崇拝が後ろにやられて、国境を越える教典を持った宗教が支配的になります。
仏教も、そういう意味では日本の古来の神道に対して異質なものでした。
仏教は、神道の宗家である天皇家に対して、少なくとも二度、大きな危機をもたらしました。
一回目は有名な蘇我入鹿で、仏教を背景にして自分が天皇になろうとしたものです。
それから、女帝・称徳天皇の時の道鏡です。
いずれも仏教を背景として、神道宗家の天皇家に代わろうとしました。
そのときに二度ともそれを阻止したのは、藤原氏の存在でした。
蘇我入鹿のときは藤原鎌足が止めました。
称徳天皇のときは、藤原百川が、もう一度天智天皇系に皇位を戻すのです。
そのすぐ後に桓武天皇が出て、平安朝になります。
このように藤原氏は常に天皇家を守ってきたので、その勢力が強大になっても、ほかの貴族たちはみな一目置くのです。
蘇我入鹿のときも称徳天皇のときも、明らかに天皇の系統が危うくなっているのに、ほかの貴族がそれを守るために働いたという形跡がありません。
自分も仏教徒になったりしています。
ところが、藤原氏は仏教徒とも敵対はしないのですが、自分の家は高天原以来、天皇家に仕える家であるという強烈な意識を持っていた。
その辺が日本の神話と歴史時代の面白いつながりです。
すなわち、天照大神が天の岩戸に隠れた。
その前で祝詞(のりと)を上げて出てくるようにしたのは天児屋根命(あめのこやねのみこと)で、これが藤原氏の先祖です。
後で皇孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)が日本に降りてきたときもお供してきます。
ですから藤原氏は、神代から天皇家を支える、一番重要な家だという強烈な意識があったと思うのです。
それで蘇我氏の時も、称徳天皇の時も、皇室が仏教に取って代わられてしまうという時に、藤原氏がいずれも出ていくのです。
加えて藤原氏は自分は絶対に天皇にならいという節度を持っていた。
その一番端的な例が藤原道長です。
「このよ世をば わが世とぞ思ふ 望月(もちづき)の
かけたることも なしと思へば」 と、
「この世での希望を全部果たしました」 という和歌をつくり、
しかも、三代にわたる天皇の祖父ともなった人です。
つまり、娘は天皇に后として差し上げて、その子供の祖父になるが、自分は天皇になる気は全くないのです。
そうすると、藤原家に対しては、ほかの貴族も一目置く。
あるいは、安心感を持っている。
これが平安時代の安定の基礎だと思います。
1月1日 奈良公園にて撮影
奈良博物館