「 透きとおった迷宮 」
吉田直哉 (よしだ なおや 1931~2008)
株式会社 文藝春秋 1988年5月発行・より
刑務所といえば、ついこのあいだチェコで面白い事件がおこったという話をきいた。
だいたいこの地方には、前世紀にウィーンやプラハでつくられた ものすごく精巧な鋼鉄の金庫、みごとな木目がついているから一見まるで華奢な木の箱にみえて、実は三人がかりで とても持ちあげられないほど重い、からくり仕掛けの金庫がまだ残っている。
その刑務所も重要書類や職員の給与を入れるのに、この種の金庫を使っていた。
ところが、昼食のワインでほろ酔いになった所長が、翌日職員全員に配るための給与をそこに入れたとき、うっかりして鍵をなかに入れたまま扉をしめる、という事態がおこったのである。
予備の鍵はなかった。
そして、生やさしい手段で あくような金庫でもなかった。
途方にくれた所長が思いついて、いまいる囚人のなかに鍵師は いないかと探してみたが、そんなすぐれた 手だれはいない。
きょう日、凶悪犯はふえても、そんな職人芸をもつワルはいなくなったのである。
ある人物を思い出して、所長は警察に相談し、警察は彼がいま兵役に服していることをすぐに突きとめた。
即刻、その兵舎に連絡がいく。
上官は彼に、ただちに道具をもって刑務所へ急行するように命令した。
ところが彼が、おいそれとは言うことをきかない。
「 もう足ィ洗ってから五年もたつんでさ。道具も捨てちまったし、できませんです」
本来軍の業務ではないのだから上官も困り果てて、とにかく任務遂行後には長い休暇を与えると言った。
すると彼は、黙って壁の私物入れから小さな包みをとり出す。
やはり持っていたのである。
そして刑務所へ向った。
そこは、彼がすでに二回も長い刑期を務めたことがある場所で、門衛から看守まで顔見知りばかりなので、所長室に着くまで、挨拶だらけで実に長い時間がかかる。
所長はいらいらする。
さんざんじらしてから到着した彼は、金庫をあけることができたら いくら
くれるつもりだとか、万一またここに入れられたら、毎日女を呼んで、独房で二人っきりにさせて もらうぜとか、あんたと同じ食事と酒だぜ とか、
さんざん所長をからかった。
それから所長を追い出し、金庫と正対したのである。
むろん、所長側もさるもので、予め壁にあけた覗き穴から一部始終を記録した。
だから分かったのだが、彼はまず長い女の髪の毛らしいものをとり出し、そっとキスしてから鍵穴に差しこんだ。
髪をつまんだデリケートな指先に、穴の中の構造が伝わってくるらしい。
その繊細な作業が終わると、こんどは針金である。
それを使ってほんの少しずつ、真綿を穴の中のあちこちにつめていく。
それによって、本来きわめて複雑な凸凹が要求される鍵のかたちを単純化してしまうらしいのである。
すべてが終わると、針金を二三回曲げてから鍵穴に入れてまわし、手品のように扉をあけた。
とにかく、五分とかからなかったという。
金を出すことができて、刑務所長は狂喜した。
しかし興奮がさめて、この芸術品のような金庫を処分しなければならないのだとか、どんな金庫をもってきてもこの調子ではあぶないとか、いろいろ考えているうちに、彼に対して如何ともし難い殺意が募ってきた。
「・・・・・・・あの野郎さえ消えれば、この金庫だって安全なのだ」
・・・・・刑務所長は権力者であり、名人芸をもつ といっても鍵師は弱者である。
いったん権力者が殺意を燃やしたら、弱者の運命は・・・・・・。
変に気が弱いところがあるので、私はこのあとの話をフォローするのをやめにした。
そのかわりに、この鍵師の名前だけはきいて来た。
彼の名はラドロ。チェコ語では何の意味もないのだそうだが、イタリア語ではなぜか、ドロボーという意味なのである。
17日に奈良・ 春日大社 の 「春日若宮おん祭」 というのがありましたので、小雨の中その行列行進(お渡り式)を撮影しました。
馬と鹿 ・・・・・・・・・・