海外援助はむずかしい   | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

「 地球を舞台に     ボーダーレス時代をよむ     」

梅棹忠夫 (うめさお・ただお 1920~2010)

日本放送出版協会 1994年6月発行・より

 

     ~ 開発援助の論理回路 佐藤寛(さとう・ひろし 1957~) ~

 

 

 

 

佐藤 イエメンの例ですけれども、だいたい山のてっぺんに人が住んでい

    るんですね。

 

 

    水はふもとにある。涸れ川があって、そこに井戸がある。

 

 

    女性が山をくだって水をくんであがる というのがひとつの社会シス

    テムのなかにある。

 

 

    それが一日二回、一往復に二時間もかかるわけです。

 

 

梅棹 重労働ですね。

 

 

佐藤 そこで援助する側は、パイプをひきましょうと。

 

    日本の政府もかなり やっているんですね。

 

    井戸から山のてっぺんまでパイプをひくわけです。

 

 

     そうしたらどうなるかというと、女の重労働はなくなりました。

 

 

    それによって おかあさんが子どもにさける時間がふえました。

    乳幼児死亡率もへるでしょう。

 

 

    家のなかの掃除もいきとどいていて きれいになるでしょう。

 

    プロジェクトは大成功です。

 

 

    しかし、それによって村のなかの男と女の関係が変化するわけです

    ね。

 

 

    それがまったく いいことかどうかというのは、外国人には判断でき

    ないんじゃないか とおもうんですね。

 

 

梅棹 そのへんは、援助する側は無責任にならざるをえない。

    結果がどうなっても しりませんよということですね。

 

 

     わたしがリビアにいたとき、イタリア人の技師がはいって井戸を

    掘っていた。

 

 

    かなり ふかいところの地下水をくみあげる。

    そうすると、その水で緑の沃野ができるんですね。

 

 

    家畜の飼料を栽培しているのですが、ほんとうに青あおと しげる。

 

 

    その水はローマ時代ぐらいにふった雨が浸透して、地下に湖水が

    できて いるわけですね。

 

 

    それをくみあげて いるわけです。

    かなり大きな機械でどんどん掘っていた。

 

    この水はかならず なくなる。

 

 

    水がなくなったら どうなるんだろうか といったら、そのイタリア人技

    師が、彼らははじめから水のない砂漠にいたのだから、そこにもど

    るだけだというわけです。

 

 

    しばらくのあいだ、10年か、20年か、水で沃野をつくって、あとはも

    とのもくあみ、いま、とにかく彼らに水をあたえるというプロジェクトが

    あって、それでわたしは やっているんだ。

 

 

    後はどういう結果になっても自分の知ったことじゃないという。

    そういうものだとおもいます。

 

 

     人間の営みのサイクルというか、どうなる、どうなるとプロセスをつ

    ないでいっても、けっきょく結果はどうなるかわかりません。

 

 

    それをどうやるかは彼らの問題であって、われわれの問題ではな

    い。

 

 

佐藤 彼らというのは援助をうける側ですね。

 

 

梅棹 援助をうける側が援助をうけることによって、究極的にひどいダメー

    ジをうけるかもしれない。

    しかし、そういうことは わからないということです。

 

 

    援助というのは せざるをえないでやっているので、効果とか、

    将来のしあわせに どうつながっていくのか、よくわかりません。

 

 

佐藤 現在のしあわせにさえマッチすればいいと・・・。

 

 

梅棹 現在のしあわせも だれのしあわせなのか ということも、たいへん

    問題でしてね。

 

 

    いまはましになったかも しれませんけれども、開発途上国の援助

    のそうとう部分が、一部の特定の人のポケットをふくらませることで 

    おわった。そういうことがあったでしょう。

 

 

佐藤 お金の面ではそうでしたね。

 

 

梅棹 一面では、国連の援助みたいに、大部分が派遣専門家の経費にな

    った。

 

 

 

 

                   10月28日 奈良公園の猿沢池にて撮影