外国の奴隷と人身売買   | 人差し指のブログ

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「 日本人らしさの発見       しなやかな(凹型文化)を世界に発信 」

芳賀綏 (はが やすし 1928~)

株式会社大修館書店 2013年12月発行・より

 

 

 

 

賀茂真淵が、「直く、まろく、たけく雄々しき、けだかき」 心や 「まこと」 と並べて挙げた”やわ(柔、和)しき心”を日本民族を、筆者は(凹型文化)と呼んできました。

(略)

 

日本が(凹型文化)の国なら人類社会には対照的に(凸型文化)の諸民族、国々も存在するはずです。

(略)

 

凸型の文化圏は至ってひろく、日本人が 「同類だろう」などと軽く考えて諸民族が意外にも異質の文化圏に属するケースは多いのです。

 

(略)

 

 人間と動物は根本的に違う、という牢固とした抜きがたい信念が凸型世界にはありますが、それだけではありません。

 

 

人間同士でも異人種・異民族・異教徒は 「根本的に違う」 人間たちだと思う根強い人間観があります。

 

 

”人種差別”はその代表的なものです。

 

 

 

 夏目漱石の小説 『三四郎』 の中に、イギリスの小説 『オルノーコ』 の話が出て来ます。

 

 

十七世紀イギリスの才長(た)けた女流作家アフラ・ベーンの作品で、オルノーコという黒人の王族がイギリスの船長にだまされ、奴隷に売られて大変な難儀をするという話です。

 

 

これは作家の実見譚として後世に信ぜられている、と篇中の広田先生が説明しています。

 

 

 異人種なら王族でさえ奴隷にしてしまう というのですから、まして普通の黒人は容赦もなく奴隷にされました。

 

 

戦争で征服した場合は”戦利品”扱いです。

 

 

つい前世紀まで、フランスその他の白人国家が、アフリカの王朝から人民を奴隷として買い取り続けた事実もあります。

 

 

いわゆる”奴隷貿易”の一例です。

 

 

売買の対象どころか、力ずくで捕らえて連行するのも ありふれたことだったらしく、映画の中でも、南アフリカの温順な少年を拉(らっ)し去るスペイン人たちが 「これは素直だからいい’家畜’になるよ」 などと言っている。

 

 

 「奴隷とは人身ではない」 「家畜の中に牛や馬や羊がいたようにヒトも

おり、家畜が売買されると同様に奴隷も売買されたのであって・・・」(イザヤ・ベンダサン、前出書)、人間が人間に家畜として使われる   それが奴隷です。 ( イザヤ・ベンダサン前出書 = 『日本人とユダヤ人』 )

 

 

「奴隷すなわちヒト家畜」(ベンダサン、同前)なのです。

 

 

 

 『新世界』、 『風と共に去りぬ』

 

 

 作曲家ドヴォルザークは、活気溢れる新大陸アメリカに感動して交響曲 『新世界』 という名曲を生みましたが、そのアメリカ社会の隆盛は黒人奴隷の労働が支えになってこそ実現されたのだ、という見方がもっぱらです。

 

      近代になるとこのヒト家畜が国際商品となっている。

      自動車専用船ならぬヒト家畜専用船がアフリカ=アメリカ両大陸

      間を絶えず往復していた。

      そして陸揚げされたヒト家畜は、堂々と競売された。

      ちょうど家畜のセリと同じで、台の上に立たされた人家畜を、バク

      ロウならぬヒトロウがせり落とし、それぞれ農場に売り込んだ。

                           (ベンダサン、前出書)  

 

 

 ローマ時代はロバの二~三倍だったという奴隷の値段がアメリカではどんな相場だったのでしょうか。

 

 

 人種差別は惡だとタテマエでは言うものの、そもそも”差別”は凸型文化の思想です。

 

 

神ー人ー動植物を峻別するヨコ割り差別の線が引かれていて、そこが凹型日本人の水平型宇宙像の思考では理解しかねる上に、垂直人間の中でも白人たちは 「人間」 の中をまた区分して、肌の色の白くない人種を下に見る”上から目線”に徹していました。

 

 

だから黒人を家畜として扱うなどは当然として疑わなかった。

 

 

その偏見にリンカーンが挑戦したのは目ざましいことでした。

 

 

 奴隷制下の米合衆国に奴隷制否認の 「自由州」 が形成される一方、「奴隷州」 がそれに対抗したが、マーガレット・ミッチェルの大長編 『風と共に去りぬ』 は、リンカーンの宣戦布告に端を発して、「主人と’奴隷’のいた」 ”古き良き南部”は風と共に去ったのだ、というのでした。

 

 

 

  凹型文化圏では?

 

 

 牧畜がなく家畜をこき使う文化のなかった日本には、人間の家畜化はあり得なかった。

 

 

非合法で人身売買が行われたことはあっても、古代イスラエルから存在したとされる”ヒト家畜”が制度化された奴隷はありませんでした。

 

 

 

 

 万葉集を見ると、「大君は神にしませば赤駒の腹ばふ田居(たい)を都となしぬ」 (巻十九、右大臣大伴御行)、「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼(みぬま)を都となしぬ」(同、作者知らず) と、天武天皇の遷都の偉業を讃(たた)えた歌がある一方、 対照的に、

 

 

 宮木引く泉が杣(そま)に立つ民の  止む時もなく恋ひ渡るかも 

                         (巻十六、寄物陳思)

 

と、休む時とてない民の吐息の聞こえる歌があります。

「宮木引く」 とは帝都造営の材を運ぶ労働です。

 

 

天武帝の飛鳥浄見原の都は持統帝の代には藤原宮へ、また元明帝に

よって奈良へ、また三十年経たぬ間に恭仁(くにの)宮へ、そしてすぐに難波へ、また奈良へ、と、天皇の意思よりも 「政権を掌握せんとする者の策」(高野辰之『日本歌謡史』) として目まぐるしく遷都がおこなわれた。

 

 

その都度 「宮木引く」 肉体労働を課せられた 「庶民は納祖の外に工事の労役に服さねばならなかったのである」(高野辰之。同前)     ということは、宮木引く民衆も租税を納めていたのです。

 

 

苦しい中に納祖の義務があったということは’市民権’があったわけです。

 

 

ヒト家畜なら納祖などするはずがありません。

 

 

                                        

 

 

 

2016年11月11日に 『 「ヨーロッパ人奴隷」 を隠す欧州』 と題して川口マーン惠美の文章を紹介しました。 コチラです。  ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12209548176.html?frm=theme

 

 

 

 

 

                8月17日奈良公園の猿沢池附近にて撮影