「 日本人らしさの発見 しなやかな(凹型文化)を世界に発信する 」
芳賀綏 (はが やすし 1928~)
株式会社大修館書店 2013年12月発行・より
太宰治は 「まけてほろびて、その呟きが、私たちの文学じゃないのかしらん」 (河盛好蔵宛書簡) と言っているそうです (竹内整一『日本人は「やさしい」 のか』)。
敗北や滅亡にも”美学”を見る日本人は、海外の国際試合に敗れた選手たちが帰国すると 「よくやった」 「ご苦労さん」 と健闘を讃え、
ねぎらいますが、韓国などでは、二位に終わった選手は世論の袋叩きにあうものと決まっているということです。
攻めて勝つことあるのみ、の文化。
「 どっちも負かしたくない」 日本人が、熱戦の末に引き分けになるとホッとするのに対し、アメリカ人の学者は、木村汎教授によれば、アメリカの観客はどちらかが他を徹底的にやっつけ、黒白をつけるのを見なければ金を払った意味がないと考えるのだ、と言ったそうです。
ビゼーの 「カルメン」 にも登場する、情熱のスペインの闘牛士に至っては、「徹底的にやっつける」 極致で、”生類憐れみ”の日本とは対極にある’すさまじい’文化を見せつけます(古代ローマのコロッセウムの跡は
すさまじさの歴史を雄弁に物語るものです)。
● 「愛と憎しみの文化」
すさまじさは日常生活の一(ひと)コマ一(ひと)コマにも当然現れます。
おだやかさを原則とする日本人は路上で大声の言い争いなどは極力控えますが、凸型の世界は言い争いの世界で、中国人などは夫婦喧嘩を家の中から路上に飛び出してまで続けると聞きます。
かつて芸術の都ウィーンの街頭で見かけた光景なども、日本人の傍観者は胆を冷やすほどのものでした。
中流家庭の主婦とおぼしき人品いやしからぬ女性が、露店で野菜・果物を買っているうちに店の小母さんと言い争いになった。
激昂した中流主婦はアッという間もあらばこそ、陳列された品物を引っくり返し、歩道に散乱させて後も見ずに立ち去ったのです。
これらの攻撃的性格の反映か、フランスの作家アンドレ・マルローは、
一般に 「美術には何らかの形で闘争があらわれている」 と見ていました。
そこで 「日本の美術は闘争をあらわにしていない」 と、凹型系美術は
例外だと感じたようでした。
闘争性は、磁器の絵柄などにも顔をのぞかせるようで、隣の大陸のもの(景徳鎮など)は 「自然と対決する」 絵柄だと古美術鑑定の大家、中島誠之助氏は言っていました (対照的に、凹型文化圏の安南(ベトナム)の
ものなどは 「湿潤な風土に溶け込む」 趣があるのだそうです)。
本質的に物静かな日本人(及び凹型の諸民族)の世界がガラリと一変
して、凸型世界は言語による発信、強烈な自己主張のメッセージの連続
です。
事物の類別・区分には日本的なファジーを許さず、敵か味方か、イエスかノーかを厳格に問い、その 「愛と憎しみの文化」(石田英一郎)では生と死の峻別も顕著です。
愛にも、憎しみにも、共に徹底して執念深く、「ほどほど」 「水に流す」 「あきらめが肝腎」 「謝る者は赦(ゆる)す」・・・・などの淡白さや寛容さ。
妥協生はありません。
首尾一貫性を至上として、原理原則を固守しドグマを押しつける。
まさに柔ではなく剛、これぞ tough-minded なメンタリティーです。
日本人なら息苦しさに堪えきれないほどの社会。
「情にほだされる」 人間を期待したら裏切られること必定と覚悟したほうがよいのです。
(略)
調和・和合ではなく 対立・闘争 それが凸型人の原則ですから 「自己の非を認める」 ことなどは悪徳とさえ言えるのでしょう。
決して謝らぬ、という対人態度は彼らには”三つ子の魂”とすべきものです。
(略)
日本人には、他国・他民族かを頭から 「敵だ」 と見て身構える習性がありません。
根本が性善説です。
一方、凸型諸民族は先ず他者は 「敵だ」 と身構える。
性悪説です。
地続きで相接する異国・異民族あるいは異教徒の集団を敵視し、大小の
トラブルは勿論、西へ東へ、侵攻・征服をくり返す歴史の大部分は彼らが創ったものです。
ユーラシア大陸内にとどまらず、海を越えてアフリカ・オセアニアなど、
世界地図を大きくぬり替えたのは凸型の中の白人でした。
もともと”剛毅不屈な戦士民族”である彼らの 「歴史をつらぬくものは戦闘と勝利、征服と復讐の交響楽ではなかったか」 (石田英一郎「愛と憎しみの文化」 全集③)。
その白人社会と同じように、アラブ世界にも、中国・モンゴルの大地にも、同じ基調が鳴り響き続けたのが、世界史数千年の実相です。
その響きは今も おさまっていません。
7月24日 奈良市内にて撮影