「 半身棺桶 」
山田風太郎(やまだ ふうたろう 大正11年~平成13年)
株式会社徳間書店 1991年10月発行・より
明治四十四年三月一日付けの、漱石の村上半太郎宛書簡の中に、
「開化すると冬でも夏の野菜があったり、夏に冬のものが食えたりすると同様で節物の均一から季候に特別の聯想がなくなるように思います」
という一節がある。
へへー、明治の頃から、もうこんな現象があったのか、それなら何も、
果物野菜にシュンがなくなったなど、今更のようにナゲくことはないじゃないか、と思う。
とはいえ、明治時代が現代と違っていることはいうまでもない。
それはあたりまえのことだが、それでもやはり、へへーと思うことが少なくない。
思想や風俗の変化は今更、異とするに足りないが、そうでなくて私が首をかしげて考えこんだ例をやはり漱石の作品の中からあげる。
『こゝろ』 は漱石の作品の中でも、いちばんポピュラーなものの一つだろうが、御承知のように、この小説中の 「先生」 は、田舎の地主の息子である。
この主人公は高等学校に、はいるかはいらないかの頃 両親を失い、
叔父に財産を奪われ、そのために人間不信の人に変る これこそが 「先生」 の悲劇の真因 という設定になっているのだが、
とにかく以来、先生は二十数年(だろうと思う。先生の年齢は、はっきり書いていないが、大体漱石は自分と同世代同年齢の人物として物語りを進めているようだ。従ってこの物語の中の先生は四十五歳ということになる)妻と何もせず、女中をやとって、まあ優雅に暮らしているのである。
先生、とは呼ばれているものの、別に教師をやっているわけでもない。
しかもこの先生は、利殖の道を計るタイプではない。
その反対のタイプに書かれているのだ。
女中といえば、明治の頃の小説に、どの家庭にも下女というものがいるのには、やはり感慨なきを得ない。
例えば、同じ漱石の 『門』 でも、主人公は梅雨どきに破れた靴の買い換えも出来ないほどの安月給の下級官吏なのに、やはり女中はちゃんといる。
しかし、当時は女性の職業というものは、ほとんどなかったのだから、
これはまあわかる。
首をひねらずに いられないのは、次のようなことだ。
その 『こゝろ』 の先生の生活だが 人間不信におちいるほど
大がかりに叔父に財産を奪われたあげくが、この状態なのだから、もとの財産はどれほどのものか、相続税はどうなっていたのか。
当時の日本の田舎の地主の財産というものは、それほど巨額なものであったのか。
それからまた、明治二十年代から四十年代の間には、日清戦争や日露戦争もあったはずだが、その間、物価はそれほど安定していたのか。
漱石はむろん、こういう経済的な面をまったく無視して書いているわけではない。
この小説の中で、先生が奥さんに 「おれが死んだらこの家は、お前にやるよ」 という、奥さんが 「ありがとう」 というところがある。
この二人には、ほかに身寄りの者はない。
夫が死ねば家は妻のものになるよりほかは ないのだから、これもふしぎな問答だが、とにかくこれくらい財産とか経済のことにはシビアな視点があるのである。
二十数年無為にして生活してゆく、ということについて、漱石は何の疑問も持たずに書いたにちがいないし、当時の読者もそれを怪しむことはなかったに相違ない。
しかし現代のわれわれから見て、首をひねらずには いられない最大の点はこのことである。
とにかくいまの日本では大学を出て二十数年、何もせず、女中をやとって優雅に暮らしてゆける人間など、まずありそうにない。
たとえ多少の財産があったとしても、われわれの知っている昭和時代など、どこで二十数年間を切断しても、その前と後では物価は十倍は上昇したいる。
換言すれば貨幣価値は十文の一になっている。
明治を古き佳き時代などというのは後世の錯覚だ。
むしろ一種の闇黒時代に近いと思われるふしもあるが、こういう一面があったとすれば、やはり佳き時代であったといえるかも知れない。
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11月5日 奈良公園にて撮影