「 半身棺桶 」
山田風太郎 (やまだ ふうたろう 大正11年~平成13年)
株式会社 徳間書店 1991年10月発行・より
昔は、日本人は ほんとうに粗食であった。
一部例外をのぞき、といいたいが、ほとんど例外なく粗食であったといっていい。
太平洋戦争中及び終戦直後はその極限であったことはいうまでもない。
昭和十六年六月七日の 『朝日新聞』 に、こんな記事がのっている。
「 蜻蛉(とんぼ)も藤の花も食える。 『モダン かてもの学』
食糧資源確保の一策として、食糧報国連盟では、昨秋から全国に渡って 『備荒食物』 の調査を行っていたが、このほど略(ほぼ)その概要がまとまった。
それによると雑草として今まで捨てて省(かえり)みられない草々でも、調理法によっては食糧化し得るものが約一千種、動物は百種に及んでいる。
植物では、例えば菊科(たんぽぽ 、のあざみ、のげし、よめな、よもぎ等)をはじめとして、桔梗(ききょう)科、ごま科、山りんどう科、おみなえし科、唇形科、石南(しゃくなげ)科、ばら科、桑科。
そのほとんど各草種別に、食用調理法が研究されている。
すなわちその一例をあげる。
たんぽぽ=和(あ)え物。
ふじ=そのまま叩いて粉にする。
山つつじ=塩漬、あるいはフレンチサラド。
昼顔=根を塩でむし、または煎(い)る。
菊=三杯酢(ず)。
とかげ=焼いて食う。
赤蛙=照焼き、塩のつけ焼。
げんごろう=羽を除き、焼いて食う。身はてんぷら。
とんぼ=油でいため、しょうゆの煮つけ。
かたつむり=焼いて食う。」
どうです、焼きとかげ、とんぼの油いため、現代のダイエット食の参考にはなりませんか?
これがまだ戦争前の記事なのである。
こんな記事が 「朝日新聞」 にのる状態で、半年後、太平洋戦争に突入したのだから、いまのイラクよりむちゃだ。
(略)
少年時代、私は農家の友だちのところへ遊びにいって、一家の夕食のおかずが ただ沢庵だけなのを見て眼をまるくしたことを おぼえている。
また弁当の菜が梅ぼしだけなのはまだいいほうで、その弁当さえ持たせられない子供も少なくなかった。
こういうありさまで、明治以来ほとんど十年ごとに日本は戦争していたのである。
6月15日 奈良公園にて撮影