作家の死と京都の女将 | 人差し指のブログ

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「 池島信平対談集 文学よもやま話 下 」

池島信平(いけじま・しんぺい 明治42年~昭和48年)

株式会社 恒文社 1995年12月発行・より

 

 

~ 土のついた京女をテーマに 水上勉(大正8年~平成16年) ~

 

 

 

 

池島 『宇野浩二伝』 で菊池寛賞、よかったですね。

 

 

    このごろ宇野さんの小説がだんだんこたえられなくなって、ときどき

    読みかえしたりしてます。

 

 

    齢とったせいかなあ(笑)。

 

 

水上 いや、もともとよかったんですよ。

 

 

池島 ぼくは二,三回上野桜木町時代のお宅に原稿とりにいったことが

    ありますよ。

 

 

    けれど、いつも玄関ですんじゃう。

    中へ入れって おっしゃらないから・・・(笑)。

 

 

水上 なかなか、奥の部屋までは入れてもらえませんでしたな(笑)。

 

 

池島 あなた、いつごろからですか、宇野さんとは?

 

 

水上 終戦の翌年です。  先生が五十六か七くらい。

 

 

池島 どういうきっかけで・・・・?

 

 

水上 編集者でいったんです。

 

 

池島 あ、そうか。  あとすぐつぶれる出版社の・・・(笑)

 

    (略)

 

水上 ともかく、東京人というのは、何か事件がおきると、それを社会的な

    意味あいとか、あるいは歴史的にとらえて考えたりしますね。

 

 

    ところが、京都の女性やと、そこが違うとこなんです。

 

 

池島 たとえば・・・?

 

 

水上 宇野先生が亡くなられたときが、そうでしたね。

    わたし、京都にいて、飲んでいたんです。

 

 

    <大文字屋>のおかみさんが、わたしをさがしてくれまして・・・。

 

 

    「宇野先生が亡くなったのに、なにしてんのッ」 って電話でした。

 

 

    急いで大文字屋へ帰ってきたら、おかみさんが押し入れを

    ひっかきまわしているんですよ。

 

 

    「あ、この人、まだ死んであらへんな」 なんて・・・。

 

 

    色紙がいっぱい よりわけてあるんです。

    一枚とり出して、「あ、これ違うな」。

 

 

    また出して、「あ、あった」。

 

 

    そういって、その宇野先生の色紙を仏壇にあげて、お線香焚いて、

    鉦をチーンと鳴らして、手を合わせて、  それでおしまい・・・。

 

 

    えらいもんですわ。

         歴史がすっと嵐のように通ってしまうようなとこがある。

 

 

    桂小五郎も、坂本龍馬もみなそんなふうに あしらわれてるんやから

    (笑)。

 

 

池島 それで通っているんだね。

 

 

水上 そういう京都の女を書きたいんです。

 

 

 

 

                   奈良・氷室神社の蓮の花  6月11日撮影