日本人は宗教の戒律が嫌い | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

「 日本史再検討 」

井沢元彦 (いざわ もとひこ 1954~)

株式会社世界文化社 1995年3月発行・より

 

第五章 日本人の宗教は怨霊宗教である 小室直樹(1932~2010)

 

 

 

 

井沢 僕は 『言霊(ことだま)』(祥伝社刊)の中で、日本には霊威に支配され

    る原始宗教的な要素が非常に強いのではないか、と書いたんです

    が、小室さんは、そのあたりはどうお考えですか。

 

 

小室 そのとおりですよ。

    仏教にしてもキリスト教、儒教のしても、日本に入ってくるとぜんぶ

    本来の教義とはかけ離れたものになってしまいます。

 

 

    だいたい、世界のどこの国を見ても、新しい宗教が入ってきて広まり

    始めると、原始宗教は消えてなくなるんです。

 

 

    ところが、日本では消えるどころか、日本の固有思想によって換骨

    奪胎(かんこつだったい)される。

 

 

    その特異な思想というのが怨霊を鎮めるための神道ですよ。

 

 

井沢 僕は、そういう固有思想がいつまでも駆逐されずストレートに残って

    いる日本を民俗学・宗教学上のガラパゴス諸島といっているんで

    す。

 

 

小室 日本に入ってきた宗教で影響力が大きいのは仏教です。

 

 

    その仏教も、ぜんぜん違うものになっています。

 

 

    仏教の生命は戒律にあります。

 

 

    玄奘(げんじょう)三蔵がインドに命懸けで行ったのも戒律を輸入するた

    めです。

 

 

    日本にも何人もの人が戒律を伝えるために命懸けでやってきていま

    す。

 

 

井沢 鑑真(がんじん)などもそうですね。

 

 

小室 鑑真もそうです。栄西(えいさい)も戒律をもとめて中国へ行きました。

 

 

    ところが日本人は誰も、鑑真が命懸けで日本にきたことは知ってい

    ても、何のためにきたかは知らない。

 

 

    栄西にいたっては、お茶を持ってきたことのほうがよく知られていま

    す。

 

 

井沢 栄西は戒律を必死で伝えようとしていたのに、ついでに持ってきた

    お茶のほうが重要視されていると(笑)。

 

 

小室 日本の仏教の特徴は、ゼロ戒律です。

 

 

井沢 どのように戒律が消えていったのでしょうか。

 

 

小室 そうしたのは伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)です。

 

 

    かれが叡山で戒律を実質的に全廃したんです。

 

 

    天台宗の戒律は煩瑣(はんさ)な決まりを除外した*(注)円頓戒(えんど

      んかい)ですが、そんなものは戒律でも何でもないのです。

 

 

<円頓戒>最澄が梵網経に基づき、利他を旨として説いた大乗戒

 

 

    仏教で僧侶になるには厳(きび)しい受戒のルールがあります。

 

 

    天台宗のそれはまったく厳(きび)しくありません。

 

 

    インドは言うに及ばず中国、東南アジアでも天台宗の僧侶は、僧侶

    とは認められないでしょう。

 

 

    仏様と菩提様を証人にして、本人が内面で僧侶になったと意識すれ

    ばいい、というキリスト教のできそこないのような戒律ですから、

    仏教とは認められません。

 

 

    ですから伝教大師以来、実質的に日本の仏教の戒律はないので

    す。

 

 

井沢 親鸞(しんらん)あたりから戒律がなくなっていったものと思っていまし

    たが、最澄なんですか。

 

 

小室 最澄の方法を徹底したのが親鸞上人であり、日蓮(にちれん)です。

 

 

    それにしても比叡山延暦寺は日本仏教の総本山ともいうべきところ

    です。

 

 

    そこに戒律がなくていいというんだから、あとは右にならえです。

 

 

井沢 妻帯を禁じ、女犯を禁じる戒律は親鸞のころまでありましたよね。

 

 

小室 外面的にはね。 でも実質的にはなかった。

 

(略)

 

小室 日本の宗教を議論するときに必ずこう説明します。

 

 

    かつては鎖国しなければならないほど日本にキリスト教が入ってき

    ました。

 

 

    しかし、イスラム教は入ってこなかった。

 

 

    大航海時代の末期にはキリスト教勢力よりイスラム教勢力のほうが

    強かった。

 

 

    バスコ・ダ・ガマもイスラム教徒の水先案内人を雇ってインドのカル

    カッタまできています。

 

 

    イスラム教徒はジャワ、中国、シベリアにもきていますが、日本には

    きていません。

 

 

    一方、大航海時代には日本も南へ南へと出ていきました。

 

 

    そこで必ずイスラム教と接触しているはずです。

 

 

    それでも、イスラム教は日本には入ってきていません。

 

 

    明治時代に全国で100人いたか いないかでしょう。

 

    中国では唐(とう)の時代には何百万人ものイスラム教徒がいました。

 

 

    こうした違いが起こったのは、キリスト教が無戒律で、イスラム教の

    戒律が過酷なまでに厳(きび)しいものだったからです。

 

 

    日本教は絶対に戒律を嫌います。

    仏教でも戒律はいつのまにか蒸発しています。

 

 

    儒教では、儒教に戒律があることを知らない人さえいます。

    『礼記』 は まったく儒教の戒律です。

 

 

 

                           7月9日 奈良市内にて撮影