仏像を売ってしまう坊主  | 人差し指のブログ

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「 我等なぜキリスト教徒となりし乎(か) 」

安岡章太郎 (やすおか・しょうたろう) / 井上洋治 (いのうえ・ようじ)

株式会社光文社 1999年1月発行・より

 

 

 

 

 [ 安岡章太郎 ]    先述しましたように、僕はお寺に預けられ、仏教

                の裏側ばかり眺めて仏教には疎遠になった。

 

 

もともと私の家が神道ということもありましょう。

 

 

しかし、何よりも仏教の宗教としての停滞は明らかで、それは井上神父の指摘通りだと思います。

 

 

ただ,補足しますと、お寺の中には檀家のない寺もある。

 

 

僕が預けられた赤羽の清勝寺には明治以降、檀家というものが一つもなく、もっぱら太田道灌(おおたどうかん)の菩提寺として役割を果たしていた。

 

 

つまり太田家に代々維持されてきたわけですから、これもやはり個の宗教ではなく家の宗教です。

 

 

 ですから明治四年の廃藩置県で武士階級がなくなると一家では寺を維持していけなくなり、急に経済的に苦しくなったようです。

 

 

 

寺の文書に 「釣り鐘、盗まれる」 などとありましたが、あんな重量のものを泥棒が持っていくわけがなくて、これは寺が売ってお金にしたんでしょう。

 

 

寺の僧というのは案外信心浅くて、金が必要になると仏事の道具ばかりか、寺所有の文化財、さらには仏画や仏像まで売り払うほど、ごく簡単に堕落する例を今も聞きます。

 

 

 

 たとえば、滋賀県にある古くからの名刹、ここには貴重な文化財の数かずがいっぱいあるのですが、それを欲しくなった金持ちは寺の僧を誘い出して、京都でお茶屋遊びをさせる。

 

 

それも毎日のように連れていく。

 

 

そうやって三年くらい接待を続けて、いきなりパッとやめる。

 

 

そうすると僧侶のほうが辛抱(しんぼう)できなくて、もういたたまれなくなって頼みに来る。

 

「寺に伝わるこの軸をお収めください」

 

と、まあこうして籠絡(ろうらく)させるわけです。

 

 

 江戸時代は幕府の庇護(ひご)があって、それなりの品位というか官職に近い倫理観をそなえていたはずの仏教の僧侶たちも、明治になってからは宗教家として衰微し、いわゆる葬式仏教に堕落していき、今はその延長線にあると思います。

 

 

                                       

 

 

2018年9月19日に 「江戸の知識人は僧侶が嫌い」 と題して

ドナルド・キーンの文章を紹介しました。コチラです。 

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12404639356.html?frm=theme

 

 

 

 

                          7月9日 奈良市内にて撮影