和歌の中の外来語   | 人差し指のブログ

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「 エンゼル叢書⑩ 国境を越えた源氏物語 紫式部とシェイクスピアの響きあい 

著者 岡野弘彦 / ピーター・ミルワード / 渡部昇一 / 松田義幸

    江藤裕之 / 須賀由紀子 / 江口克彦

PHP研究所2007年10月発行・より

 

 

 

~ 奥深い源氏物語の世界   岡野弘彦 X 渡部昇一 ~

 

 

 

岡野 ところが、和歌で言いますと、古い歌は本来書くことをしないで、

    歌ったものです。

 

 

    耳から心へ受けては伝えた。和歌はほとんど漢語を使いません。

 

 

    ですが、やまとことばですから、日本人にはすっとわかる。

 

 

    文字を媒介にしなくてもその心がわかる。

 

 

    それが 「古今集」 のころから、だんだん表記しなければならなくな

    って、その表記がまた大変便利だったのですが、文字に書くように

    なる。

 

 

     それがどんどんエスカレートして、活字本になっていきますと、

    全く声に出さないで読むようになる。

 

 

    黙読でも心の中で 「読む」 という意識を持てばいいのですが、

    全く活字ばかりで見ていくようになるのです。

 

 

 

     宮中歌会始の歌は、あの儀式の場では、あらかじめ印刷したも

    の、書いたものは配られないのです。

 

 

    天皇の前で初めて披露せられるという形です。

 

 

    母音を長く引いて朗詠する。あの朗詠で初めて耳から心へ伝えるの

    ですが、昔とちがって、現代の短歌ですから、漢語、殊に漢語の熟

    語がありますと、非常にわかりにくいのです。

 

 

    このごろ、殊に稲作、農耕の用語とか土木用語にむやみな漢語を

    使うでしょう。

 

 

    「田んぼ」 と言えばいいところを 「圃場(ほじょう)」 という漢語を使う

    のです。

 

 

    そうすると、あれほどゆっくり朗詠せられていても、「圃場」 というの

    はどうしても意味がつたわってこないのです。

 

 

     そういうこともありますが、現代はとにかく文字の時代ですから、

    漢語の圧縮せられた内容の表記は大変便利です。

 

 

    便利なのですが、同時に、歌の調べには、やまとことばの美しさが

    ある意味では大事なのです。

 

 

渡部 私は、和歌に関しては、長歌でもそうですけれども、全く同感です。

 

 

    私の申し上げていることは、散文のことです。

 

 

    和歌は本当に外来語がないのです。

 

 

    たとえば百人一首をみても、あの中には 『万葉集』 から 『新古今

    集』 以後までの歌がとられているのですが、どのぐらい外来語が

    入っているのかを調べてみたら、白菊の花の 「菊」 と 「衛士(えじ)

    のたく火の 夜はもえ」 の 「衛士」 の二つでした。

 

 

    何百年間の代表の詩を百首撰んで、漢語、外来語が二つしかない

    のです。

 

 

    それは大ざっぱに見ますと、明治天皇までそうです。

 

 

    明治天皇の御製も、日露戦争の御製では、地名などが入っている

    のはありますが、ほかは入っていません。

 

 

    昭憲皇太后の和歌にも入っていません。

 

 

     あのころから森鷗外などは漢字を歌に入れ始めます。

 

 

    斎藤茂吉はギリシャ語まで入れたりします。

 

 

    俳句はいくら外来語を入れてもいいのですが、芭蕉でも一番いいの

    は外来語、漢語は入れないですね。

 

 

    「古池や蛙飛び込む水の音」 「枯朶(かれえだ)に鳥のとまりけり秋

    の暮」、全部やまとことばです。

 

 

    ギリシャ語まで入れた斎藤茂吉も、晩年になって 「最上川 逆白波

    の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも」 など、一番いい

    歌は、外来語が入らない。

 

 

    それでもわかるのは、短いからでしょう。

 

 

    散文の場合は、主語がどうしたのだろうという話になるから難しい。

 

 

    和歌の場合は、主語は何だろうというようなことは ほとんど考える

    必要はないので、非常にわかりやすいと思います。

 

 

     ですから、『百人一首』 はぜひ子供のときから教えていただきた

    いですね。

 

 

    百人一首に出ている和歌の言葉は、子供にも、ほとんどそのままわ

    かる言葉です。

 

 

    たとえば、「久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散

    るらむ」 という歌の気分は子供にもわかりますから、『百人一首』 

    あたりから入門させたい。

 

                                      

 

 

2018年10月23日に 「万葉集と古今集の注釈」 と題して谷沢永一の文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12332033687.html

 

 

 

 

                      12月14日 奈良公園にて撮影