「阿川弘之は泣くのか?」北杜夫   | 人差し指のブログ

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「 お言葉ですが・・・❼ 漢字語源の筋ちがい 」

高島俊男 (たかしま・としお 1937~)

株式会社 文藝春秋 2006年6月発行・より

 

 

 

 

 北杜夫さん    言うまでもないことながら、茂吉の子息である。

 

 

本名斎藤宗吉    の茂吉連作第一冊 『青年茂吉』 にこんな話が出ている。

 

 

    阿川弘之さんは軍歌を聞くと泣く、といううわさをかねてより聞いていたので、阿川さんが北さん宅へ遊びにきた時、この半分恐ろしい先輩が泣くところを見てやろうと、北さんはせっせと軍歌をうたった。

 

 

ところが阿川さんはちっとも泣いてくれない。

 

 

がっかりして、「一体、どうしたらあなたは泣くのですか」 問うと、「茂吉の歌を聞けば泣く」 という答えである。

 

 

そこで北さんは 『小園』 の歌などをいくつか朗唱したが、それでも泣かない。

 

 

しまいに阿川さんは 「鳥海山・・・・という歌を聞けば泣くかもしれん」 と言ったが、北さんはあいにくその歌をおぼえていなかった(不肖なムスコですね)。

 

 

 その後阿川さんは北家の玄関を出て、SS の歌などを勇ましくうたったので、今夜はもう駄目だと北さんがあきらめていると、阿川さんは、

 

   全(また)けき鳥海山はかくのごとからくれなゐの夕ばえのなか

 

とつぶやくように言い、そそくさと車に乗って帰ってしまった。

 

 

 翌日北さんが阿川夫人に電話をかけて昨夜のことをぼやくと、夫人は、「でも、鳥海山・・・・と唄ったあと、少し泣いていたようでした」 と答えた。

       そういう話である。

 

 

 茂吉は昭和二十一年はじめに金瓶村から大石田に移った。

 

この歌はその大石田での作で、歌集 『白き山』 におさめる。

 

 

日本はほろびた。茂吉の愛した日本はもうどこにもない。

 

しかし見よ、真紅の夕映えのなかに、鳥海山はその完璧の姿を現じている。

 

その根をささえていた日本はもうないのに     

 

 不思議な光景である。虚空にどっしりとうかんでいる山。

 

もとより現実の風景ではない。

 

 

これは数千年来、この世にいっさいの望みを絶った人たちが、幻のなかにありありとみとめて手をさしにべてきた、浄土の山である。

 

だからかくも美しく、かくも神々しいのだ。

 

 

 冒頭 「またけき」 の字足らず四音が、この歌の常ならぬ荘厳を予告する。

そして 「からくれなゐ」。

 

 

これは、茂吉にここでこういうふうに使ってもらうために、千年前の日本人が作っておいてくれたことばだ。

 

 

千年間出番を待っていたことばが、いま、「全けき鳥海山はかくのごと」 を受けて、「からくれなゐの夕ばえのなか」 と姿をあらわしたのである。

 

 

 亡国のなかの荘厳、そしてこの世ならぬ極致、    阿川さんが泣くのも無理はない。

 

(略)

 

 

*[あとからひとこと]

  阿川さんが北家の玄関を出たところで SS の歌を勇ましくうたったというのは 『青年茂吉』 にあるのをそのままとったのだが、この 「SS の歌」というのは何でしょうね。

 

 

SS(エスエス)というとたいがいの人が思いおこすのはヒトラー親衛隊(Schutzstaffel)だろうが、阿川さんがそんな歌をうたうとは思われない。

何か海の歌ではなかろうかと思うのだが       

 

 

                                        

 

 

2016年9月20日に 「北杜夫が結婚式で暴言」 と題して三浦朱門の発言を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12197300291.html

 

 

 

 

2016年8月26日に 「斎藤茂吉の罵詈雑言」 と題して丸谷才一の発言を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12192575487.html

 

 

 

 

 

                  興福寺南円堂(奈良市)  1月21日撮影