十八史略とパーレー万国史は「子どもの本」   | 人差し指のブログ

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「 せがれの凋落(ちょうらく)  お言葉ですが・・・㊂ 」

高島俊男 (たかしま・としお 1937~)

株式会社文藝春秋 1994年1月発行・より

 

 

 

 十八史略が日本に入ってきたのは室町時代の後期ごろらしい。

 

 

江戸時代になってから日本刊本が数多く出、明治になっていっそう 

ひろくおこなわれた。

 

 

つまり本家のほうで ほろびてしまってから、こっちで流行したわけだ。

 

 

 日本は昔から文化の輸入国で、外国から入ってきた書物をたいへんにありがたがる。

 

 

書物といってもいろいろで、本国ではおのずから格があり評価があって、一流の古典と三流以下の俗本とが同列にあつかわれるようなことはないのだが、輸入国ではそれが わからないことがある。

 

 

 

 十八史略のばあい、江戸時代にはそれでも初心者用のものだという

ぐらいのことはわかっていたのだが、明治以降漢文教科書に多く採用

されると、左伝や史記のようなスーパークラスの古典籍との区別が

わからなくなってしまった。

 

 

みな同じように漢字ばかりが並んでいるから、同じように畏敬の念を

いだいたものらしい。

 

 

今でもかなりの知識人の十八史略を一流の歴史書と思いこんで

いるらしい文章にお目にかかることがある。

 

 

 これが自分の国のものなら、古事記や日本書紀は典拠になるが昭和になってからだれかが書いた 『日本神話のおはなし』 の類は典拠にはならないことくらい だれでもわかるのだが、外国のものとなると それが

わからない。

 

 

一流と目される辞典が史記と十八史略とをならべて引く、というようなことがおこるのである。

 

 

 まあ、十八史略なんぞをまじめな顔して引いてある辞書や本などは、

無知なる者のこしらえたシロモノと踏み倒して大過ない、と思ってください。

 

 

 明治の初めごろに西洋の学問をやった人の書きのこしたものを読んでいると、『パーレー万国史』 を学んだ、ということがしょっちゅう出てくる。

 

 

どんなものだろうと手に入れて読んでみた。

 

原題は”Peter Parley's Universal History”という。

 

 

 現物を見てびっくり、アメリカの児童むけシリーズの一冊なのであった。

 

 

ピーター・パーレーというのは 「物知りおじいさん」 を名まえにしたもので、『ピーター・パーレーの何々』 という本が百種類以上ある。

 

 

このおじいさんが子どもたちにお話をする、という形をとって、ごくやさしい英語で書いてある。

 

 

 明治のころのお雇い教師が、日本人にはこの程度のものが適当だろう、ということであたえたのだろう。

 

 

まあ おじいさんが子どもたちに話を聞かせている挿絵なんぞがついているから、まさか一流の歴史書とは思わなかったろうが、なにしろ全部英語だから、ありがたく おしいただいて勉強したものらしい。

 

(略)

 

 十八史略とピーター・パーレーとはよく似ている。

本国では子どもの本である。

 

 

ところが日本人は、漢字ばかりで、あるいは英語ばかりで書いてあるというもうそれだけで、ウヘーッと恐れ入ってしまう。

 

 

外国の文化を崇拝することのみを知る文化輸入国の国民は、あわれな

ものである。

 

 

 いや何も明治だけの話ではない。

 

漢文をありがたがったり英語に あこがれたりする日本人は

      ホラそこらへんにもいるじゃありませんか。

 

 

 

 

                           7月2日 奈良市内にて撮影