下級武士の内職から特産品 | 人差し指のブログ

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「 剣談女談(けんだんじょだん)   神坂次郎対談集 」

神坂次郎 (こうさか・じろう 1927~)

PHP研究所 1996年3月発行・より

 

ビジネスの原点は元禄にあり      

                  堺屋太一(さかいや・たいち1935~2019)

 

 

 

神坂 江戸時代の経済で面白いのは、下級武士の内職から特産品が生

    まれていることですね。

 

 

    本来の武士というのは”生業”する仕事がないわけですから、内職

    が本職みたいなものになり、その藩の経済を支えた例がよくありま

    す。

 

 

堺屋 各藩で産業殖産振興をやってますね。

 

 

    とくに長州藩とか、薩摩藩など西南の地つきの大名というのは、

    特産品の振興に非常に熱心でした。

 

 

神坂 大名のトップセールスも盛んですね。

 

 

堺屋 冨山藩の殿様は常に懐に冨山の売薬をしのばせて江戸城に上が

    り、部屋に詰めながら顔色が悪いとか咳をしている大名を見つける

    と 「冨山の薬でござる」 といって飲ませて宣伝していたそうです。

 

 

神坂 紀州藩の御付家老で新宮藩三万五千石の水野土佐守なども江戸

    城で熊野の木材や炭のPRにつとめています。

 

 

    「紀州の炭屋」 というあだ名がついていたそうですが、何かあると

    炭を山積みにして進呈するものだから江戸中の評判になったそうで

    す。

 

 

    東京の焼き鳥屋や鰻屋に今も 「紀州備長炭使用」 の看板が出て

    いるのは、その当時の名残でしょう。

 

 

堺屋 大石内蔵助の妻、りく の里は但馬豊岡ですが、その特産品の柳行

    李は りく の弟が発明したものです。

 

 

    砂鉄の産地の倉吉では稻こきの道具(千把こき)、大和郡山藩では

    金魚を特産品にしていましたが、いずれも下級武士の内職から始ま

    ったものですね。

 

 

    通産省にあたる各藩の商工部長、経済官僚の歴史はもっと研究す

    べき価値がありますね。

 

 

    柳行李の豊岡は今は袋物の産地でしょう。

 

    一所懸命セールスして経済を立て直したのに、大石りくの弟はけっ

    して評判がよくない。

 

 

    日本の歴史では戦争に勝った軍人がいちばん偉くて、次が土木工

    事をした人ですが”産業振興をした人も正当に評価すべきでしょう

    ね。

 

 

    たとえば、赤穂藩の大野九郎兵衛は忠臣蔵の討ち入りに加わらな

    かった悪評の家老ですが、塩俵を標準化した人ですよ。

 

 

神坂 大石内蔵助の陰に隠れていますが、経済家としては相当な切れ者

    だったようですね。

 

 

堺屋 俵が標準化されたことで先物取引が生まれ、おかげで金の先借り

    ができるようになり、経済が活発になったのです。

 

 

    堂島の米相場とか、米切手とかは標準化された俵があったからでき

    たんですよ。

 

                         ( 「WILL」 平成元年 九月号 )

 

 

 

 

 

                 5月8日 奈良・春日大社の杜の中で撮影