昔のテレビ局員のピンハネ   | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

「 池島信平対談集 文学よもやま話 下 」

池島信平 (いけじま・しんぺい明治42年~昭和48年)

株式会社 恒文社 1995年12月発行・より

 

~四十まで活字で立てなかったら 井上ひさし(昭和9年~平成22年)~

 

 

 

 

 

池島 だいぶ前だけど、ぼくはある放送局に頼まれて、若いディレクターと

    か そういう人たちに話をしたことがあるんです。

 

 

    「放送というのは、若い仕事でおもしろいだろう。しかし、重労働だ。

    一ヶ月打てる芝居のだしものを、毎日つくってるようなもんだから・・

    ・・・・。

    しかし、また考えてみれば、雑誌社なら原稿とりの第一線ぐらいの

    年齢のプロデューサーが、役者たちから、”先生” ”先生” といわ

    れて、いい気になっている人もいるでしょう。

    タレントの女に手を出したり、ギャラのピンを はねたりする例もない

    とはいえない」

 

 

    ボク、はっきりいったんですよ。

 

 

    「今後の放送界からは、そういう人種がはじき出されていくのでなけ

    れば、いかんのではないか」

 

 

    あとで局の偉い人から、感謝されましてね。

 

 

    「ぜひそれを、外部の人から いってもらいたかった」 って。

 

 

     あの人たち、しからば月給が安いからというと、そうじゃない。

    むしろ、いいほうでしょ?

 

 

    日本の放送界は、日本の”活動写真(カツドウ)”と芝居の悪い面を、

    草創期に内部へ機械的に入れちゃったんだ。

 

 

    だから、優れた若い人がきても、その変な空気の中でおかしくなって

    しまう。

 

    いまは、脱皮期でしょうがね。

 

 

 

井上 確かに、非常に優れた人もたくさんいます。

    よくない人もいます。

 

 

    これは一般の社会と同じでしょうけど、ぼくも駆け出しのころは、

    かならずピンを出していました。

 

 

池島 やっぱり・・・・。

 

 

井上 台本料を八万円もらったとします。

    一万円は現金でそっと袋に入れて返す。

 

 

    むこうは当然のように、受けとる。  それをしないと、いつの間にか

    おろされたりする。  民放の場合ですが。

 

 

 

池島 昭和のはじめぐらいまでは、雑誌にもあったんですよ。

 

 

    これは古い作家でしたが、酔っ払って、さかんに悲憤慷慨してまし

    た。

 

    「吉川英治さんがいま大きな顔してるけど、あれは原稿料をぜんぶ

    出版社の若い人に飲ませたからなんだ」。

 

    ついに志を得なかった人ですが・・・・。 

    見ていて、ぼく悲しくなった。

 

 

     だけど、吉川さん自身の口からも、ぼく聞かされたことがあります。

    ずっと昔に。

 

    「雑誌に書いて、もらう原稿料は、みんな記者といっしょに飲んじゃ

    う」 って・・・・。

 

    「生活は印税でしている」

 

 

     若いぼくには、そういうことがきわめて不愉快でしたね。

 

 

    まあ、あのころ雑誌ジャーナリズムが確立しだしたというか・・・・。

 

 

    入社試験制度みたいなものができて、大学を出た連中が入るように

    なった。

    月給もかなりに・・・ね。

 

 

    そうした体制ができて、古い悪い傾向と闘おうという気持ちが出てき

    たんだと思います。

 

 

    だから、自然になくなっていきましたね。 悪弊は・・・。

 

 

    放送界はまだかなり遅れていることになるんだが、いずれよくなりま

    すよ。

 

 

井上 だんだん、ちゃんとしたものになってきましたね。

 

 

    いまではピンはねなんかまったくありません。

    最初からなかったのは、<NHK> ですけど。

 

 

池島 当然でしょう、それが。

 

 

井上 考えてみれば、やっぱり、こっちもいけませんね。

 

 

池島 共犯でしょうな。

                       ~ 昭和47年12月18日 ~

 

 

 

                  5月11日 奈良市の図書館前にて撮影