韓国人どうしの「奪う権利」 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

『 なぜ日本の 「ご飯」 は美味しいのか ~韓国人による日韓比較論~ 』

シンシアリー (SincereLEE 1970年代~)

株式会社 扶桑社 2016年11月発行・より

 

 

 

 本書のメインテーマから外れるのでそう長く 書きたくはありませんが、

韓国社会の支配層の人たちの間には、「私は上だ。 下のものを奪(うば)う権利がある」 という歪んだ特権意識があります。

 

 

しかし、非支配層にもまた、 「私は下だ。 上のものを奪う権利がある」 という認識があります。

 

 

「私は悪くない。ほかの誰かのせいで上になれなかった」 という考えを持っているのです。

 

 

これを、韓国では 「当然あるべきものを奪われた」 とい意味で 「相対的剥奪(はくだつ)感」 と言います。

 

 

 相手が持っているものを私が持っていないのは、他人が買えるものを私が買えないのは、私に当然あるべき何かを奪われたからだ。

 

だから私には奪う権利がある。

 

 

それはやがて人の精神を大きく歪めませ、まるで自分が絶対的な被害者であるという悔(くや)しさを作り出します。

 

 それを 「恨(ハン)」 と言います。

 

 

 先にも書きましたが、最近の韓国では 「生まれが恵まれた人間以外に、身分上昇は不可能だ」 という風潮が高まっています。

 

「スプーン階級論」 「ヘル朝鮮」 などなど。

 

 

 

 彼らにとって偽造品は、まるで 「仲間」 です。

 

私は高いブランド品をものにして当然の人間だ。

 

でも他の誰かのせいでそれができなくなった。

 

だから偽造品を使うのはせめてもの権利であろう。

 

 

だから、無理をしてでも、それを作る人たちを、使う人たちを、「仲間意識」として擁護するわけです。

 

 

「ブランド品が買えないなら、ブランド品じゃなくても安くて良い製品を選んで買えばいいじゃないか」 

 

  という考え方、ですか?

 

 

そんなものは、最初からありません。

 

「私は優秀だ。でも誰かのせいでこうなった」 が基本ですから。

 

 

 そんな考えを満足させられるのは、皆が平等になる世の中しかありません。

 

ただ、自分で上がって 「平等」 になることではなく、「他の人たちも引きずり下ろして」 皆が平等になる社会です。

 

 

韓国よりほんの少し 「北」 のほうが そうなっています。

 

 

                                   

 

 

2017年1月25日に 「人の足を引っ張る韓国人」 と題して様々な人の対談を紹介しました。コチラです。 

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12240740305.html?frm=theme

 

 

 

 

               奈良・東大寺の戒壇院付近にて4月26日撮影