元禄時代の外食 | 人差し指のブログ

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「 忠臣蔵と日本の仇討ち 」

池波正太郎(いけなみ・しょうたろう)

中央公論新社 1999年3月発行・より

 

 ~ 元禄義挙について   池波正太郎 ~

 

 

 

 

 元禄という時代     

 これはどういう時代かというと、徳川幕府というものができて七、八十年目で、そのころに初めて外食ができるようになった。

そういう時代なんです。

 

 

外で食事が出来るということは、これはもう一種の革命的な出来事です。

 

 

それまでは 江戸の町でも食物屋がなかったんです。

どこにいくにも弁当持ちでないといけない。

 

 

やっと元禄になってソバ屋というものができて、ソバが大流行する。

 

 

また、お茶漬屋もできた。

これはいまの茶漬とは違って、御飯に煮しめをつけたようなものですけれど、そうしたものができる。

 

 

西瓜も、信長、秀吉の時代には南蛮渡来の貴重品で、小さく切ったものに、砂糖かなにかかけて、お茶席のお菓子として出るくらいな、大変なものですよ。

 

 

だれでも食べられるというものじゃあない。

信長、秀吉にならないと口に入らない。

 

 

それが元禄になると、だれでも食べられるようになる。

 

 

 宿屋にしても、三代将軍の頃までは、宿屋は泊めてもらうだけで、食事は全部お客が自分で作ったもんです。

 

 

宿屋で鍋、釜を借りて米を買って、自分で炊事をした。

 

 

それが食事を出してくれて、女中が世話をしてくれる。

 

 

 それは戦後、われわれ一般家庭でもテレビや電気洗濯機、暖房装置などを知った。

それと同じなんですよ。

 

 

生活というものが、大変便利になった。

 

 

それは一種の衝撃ですよ。外食というものが、それだけの衝撃性をもっていたんですね。

 

 

 それはなぜそういうことができるようになったかというと、戦争がなくなったからです。

 

 

ずっと平和が続きそうだ、世の中が安定してくる。

 

 

それに伴って、いま言ったような現象が起きてきたわけです。

 

 

 それと、元禄時代というのは、都市化時代なんです。

 

 

さっき申し上げたようなことも、江戸とかそういう大都市で可能になったわけで、地方にいくとまだそうはなっていない。

 

 

戦国からの風潮が続いているわけです。

 

 

 

 

 

              奈良公園から見た東大寺大仏殿 4月8日撮影