「江戸時代の数学者」と「農民の弟子達」 | 人差し指のブログ

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「 完本 梅干しと日本刀 日本人の知恵と独創の歴史 」

樋口清之 (ひぐち きよゆき 1909~1997)

祥伝社 平成16年2月発行・より

 

 

 

 江戸時代の数学者、関孝和(せきたかかず)は、立体幾何の名人だった。

 

 

立体幾何というと、むずかしく聞こえるが、要するに土壌体積を計る名人と思えばいい。

 

 

 なぜ、土壌体積を計るかというと、結局、水田は絶対水平面なのに、日本の土地は斜面が多いというところに起因する。

 

 

斜面を水平にするには高い所を削って、低い所を埋める。

 

 

それにはどれだけの土壌を動かせばいいかを計算しないと、土が余ったり、足りなくなったりして、ムダが起きる。

 

 

 だから立体幾何が必要になってくる。

 

 

円錐筒(えんすいとう)の体積を計算してみたり、円錐筒の上を切った体積を計算したり、方錐筒を計算したり、それを関孝和はさかんにやったのである。

 

 

体積を計算して、それを移動するための労力を計算し、労賃を割り出す。

 

 

 二宮尊徳(にのみやそんとく)の農地改革は、この立体幾何をフルに応用した。

 

 

農地の地形改革である。

 

さらに、改革した地形に水がキチンと流れて来なければならないから、この斜面計測も必要である。

 

 

 これは、水田を相手に長年暮らしてきた日本人の中に経験として積み上げられた知恵だ、と思う。

 

 

いうなれば、自然発生的に、農村の生活経験が生み出したのが数学だった。

 

 

 関孝和は武士の出身だが、その弟子に農民出身者が多いのは、それを裏付けていると思う。

 

 

数学は抽象的な学問ではなく、農村に必要な生活の技術だったのだろう。

だから正確さがいっそう必要とされたのである。

 

 

学問的な数学なら、少々違っても生活そのものにかかわるようなことはないが、農民にとっては生活の技術だから、水が流れなくなったら困るのである。

 

 

 玉川上水ができて、野火止用水、北沢用水、烏山(からすやま)用水といった用水路が関東一円に造られる。

 

 

 これは全部、その土地の農民が計算し、測量して掘ったものである。

 

 

これは関東一円の農民が、世界的な数学水準を江戸時代に持っていたことを示していると思う。

 

 

ただ、それを数学と呼ばなかっただけである。

 

 

 

 

                     奈良公園の八重桜 4月8日撮影