「 新編 明治人夜話 」
森銑三 (もり・せんぞう 1895~1985)
株式会社 岩波書店 2001年8月発行・より
明治初年の宮中の改革は、西郷一人の仕事ではなかったが、そこには西郷の意図の最も大きく動いているものがあった。
まだ一少年におわした明治天皇に、野武士のような荒削りの人々を接近せしめて、宮中に剛健な気分を漲(みなぎ)らせたことなど、今日から考えても、愉快に堪えないが、そうした思切った改革は、西郷が在って、始めて成し得たものであった。
旧幕臣の山岡鉄舟(てっしゅう)を推薦したのも西郷だったというが、西郷には、もとより薩長の幕府方の などという観念はなかった。
そして己れ自らもまた教育者として、天皇に親近し奉ったように思われる。
一日、天皇が馬場で馬術の御稽古を遊ばされていた時に、馬から落ちて、思わず知らず、痛い、と仰せられた。
普通の役人たちだったら、飛んで行って御起こし申し上げて、御怪我は、御痛みは、などというべきところだったろうが、御一緒に馬を走らされていた西郷は、そうした態度に出なかった。
馬上から天皇を見下ろして、痛いなどという言葉を、どのような場合にも、男が申してはなりませぬ、ときっぱり申上げた。
天皇はその後にも、この西郷の一言を、一生御忘れにはならなかった。
西郷の教訓を、終生御服膺(ごふくよう)になったのである。
いつのことだったか、西郷からそう教えられたと、西園寺公望(さいおんじ きんもち)に御話なされたことが あったそうであり、西園寺さんは、それを人に語っている。
西郷の明治天皇に親近し奉った年月は、長くはなかったのであるが、天皇は後々までも、折に触れては、西郷という型の大きな人物を御回想になっていたように拝せられる。
西郷は生きた教育者でもあったのである。
明治天皇を御感化申上げた人物としては、第一に西郷を挙ぐべきではあるまいかと思われる。
その山岡鉄舟は明治天皇を投げ飛ばしたこともあったそうです。
林房雄がそう話していたので 2017年11月2日に 「明治天皇を投げとばす」 と題して紹介しました。コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12324418288.html
2018年4月15日に~比較・「明治天皇と外国の皇帝」~と題してドナルド・キーンの文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12360196760.html
2016年10月10日に 「渋沢栄一が見た西郷隆盛」 と題して渋沢の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12207025962.html
朝霞(埼玉)の文化会館みたいな所で菊の展会をしていました。
11月3日撮影。