渋沢栄一が見た西郷隆盛 | 人差し指のブログ

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西郷隆盛公は (略) 一言で言えば、とても親切で同情心が深く、どうすれば他人の利益になるかと、そのことばかりに気を使っていたように思う。

(略)

西郷公の平生は寡黙で、談話をすることはほとんどなかったようであるが、

はたから見たところでは、公が賢い達識の人であるか鈍い愚かな人であるか、はっきりとわからなかったものである。

ここが西郷公の大久保公と違ったところで、西郷公は他人に馬鹿にされても馬鹿にされたと気づかず、

その代わり他人にほめられても嬉しいとも思わず、喜ぶこともなく、それと気づかないように見えたものである。

いずれにしてもとても同情心の深い親切な御仁で、器ならざると同時に、また将に将たる君子の趣があった。

(略)

明治維新の英傑の中で、偽り飾ることのなかったのは、やはり西郷隆盛公である。

そのため西郷公は、思慮の足りない人々からは、誤解されたり、真意を理解されなかったりしたこともある。

これは、西郷公が至って無口だったことによる。

結論のみを語って、そこに達するまでの思想上の経緯などはあまり語らなかったためであろうかとも思う。


まず西郷公の容貌からいうと、恰幅のいい太った方で、

平生はどこまで愛嬌があるかと思われたほど優しい、とても人好きのする柔和な顔立ちであったが、

ひとたび意を決した時の顔はそれとは正反対の獅子のような表情で、どこまで威厳があるか計り知れなかった。

恩威並び備わるとは、西郷公のような人のことを言うのであろう。

(略)

西郷隆盛公は、たしかに大人物であったが、適材を適所に置くことについては、優れた人物鑑識眼があったとは言いかねるようだ。

元来まったく私心がなく、孔子の言う 「過ちを観てここに仁を知る」 方で、

その深い優しい情に端を発するところが西郷公の過失ともいえるのだが、

一方それが、公の仁心が深かったことを示すものでもある。

したがって、他人を見誤ることがあっても、他人に陥れられるようなことは絶対になかった。



「現代語訳 経営論語   渋沢流・仕事と生き方
渋沢栄一(しぶさわ えいいち 1840~1931)
ダイヤモンド社 2010年12月発行・より



8月21日 中央公園(埼玉・朝霞)にて撮影

雲ー10-10