「 新聞の経済記事は読むな、バカになる 」
日下公人(くさか きみんど) / 渡邉哲也(わたなべ てつや)
株式会社李白社 2013年3月発行・より
[ 日下公人 ]
もともと日本人は共存共栄で支配欲がなく、無理な自己
正当化をしないから、帝国をつくるには向いていない。
自己正当化は英語ではセルフ・ジャスティフィケーション(self-justification)と言うが、これはどんな人間にでもある気質だ。
しかし日本では小学校や中学校の教育でセルフ・ジャスティフィケーションを否定するように徹底して指導した。
しかし、イギリス人、スペイン人、ドイツ人、アメリカ人、中国人など帝国をつくった人々の教育では、「絶対に誤りを認めないでセルフ・ジャスティファイで押し通せ」 「われわれには神がついている」 と教えている。
セルフ・ジャスティフィケーションはハリウッド映画などを見ていれば随所に出てくる。
そのこと自体は日本人も分かるが、帝国の人々の伝統文化だということまでは分からない。
たんに有名俳優が演じている主人公の一つのキャラクターだと思ってしまう。
悪人につかまって 「白状しなければ拷問するぞ」 と脅かされても、その主人公は平気で言い返す。
拷問も覚悟で言い返すのがセルフ・ジャスティフィケーションであって、帝国をつくる人々の根本精神である。
対して日本は2000年の伝統文化でそのような根本精神がない上に学校教育でも否定している。
したがって、日本人からすると帝国をつくった人々は本当にねじけているのだが、彼らからすればそれが当り前だから日本人はくじけていると思う。
このねじけかくじけかという違いを日本人が根本から分かるにはどうすればいいのか。
たとえば、英語ができるようになれば分かるとか、アメリカのホームステイすれば分かるとか言う人がいるが、そういうことでもダメだろう。
なぜかと言うと、帝国をちくった人々は要するに他の民族を騙(だま)すのに長(た)けており、それが身についてしまっているからだ。
別の言い方をすれば、狩猟民族であり、さらには牧畜民族なので、他の民族を餌(えさ)だと思っている。
言葉は餌を得るための武器だ。
けれども、普段はそういうことを隠して、「すべては人類社会のための行いです」 とか 「天にまします神様の下であなたのことをいつも考えています」 などと普遍的な話に持っていくのである。
そういう話にコロッと引っかかるのが日本人だ。
なぜなら日本人はそのような普遍的な思考ができるからであり、いちばん上に立ってつねに公平かつ平等に人類社会のことを考えているからである。
これも日本の小学校や中学校の教育で培われるのだが、いったん世の中に出てみると、そんな普遍的な話は通じないので愕然(がくぜん)とする。
ただし愕然とするだけでそれ以上は何ごともなく終りになってしまうというのも日本人である。
加えて悪いことに、高校や大学に進学すると、ヨーロッパのカント、ヘーゲル、ルソー、アダム・スミス、ケインズといった人の学問を勉強するから、帝国をつくった人々に違和感を抱かなくなる。
だから私はそんなヨーロッパの人の言うことはおかしいと縷々(るる)言わざるを得なくなる。
これまで縷々言ってきたが、やっとこのごろ分かってもらえるようになった気がする。
250年間、世界を支配した帝国主義の時代は終わりつつある。
奈良公園の隣にある氷室神社のしだれ桜 4月6日撮影