「人間はなぜ戦争をやめられないのか 平和を誤解している日本人のために」
日下公人(くさか きみんど 昭和5年~)
祥伝社 平成16年5月発行・より
ドイツの対英開戦も、必然であったとは言えない。
ドイツの対英開戦にはいくつかの要因があるが、人の知らない話を書いてみよう。
昭和十四年(1939年)当時、ヒトラーはイギリスを十二分に尊敬していたから、イギリスと戦争する気はあまりなかった。
その時、「イギリス恐るるに足らず」 ともっとも激しく対決を主張したのは、外務大臣リッペントロップである。
彼はその前はイギリス大使で、それほど反英的な人物ではなかった。
ヒトラーに抜擢(ばってき)されて大使になった時は、イギリスと対等に交渉ができると大喜びし、バッキンガム宮殿で丁重にもてなされた、と喜んでいた。
ところが、リッペントロップが自分の子どもをイギリスのハイ・ソサエティの学校に入れようとしたら、入れてくれなかった。
ドイツ大使の息子だから特別扱いしろ、
と言ったあたりが成上がり者のおかしいところだが、
とにかく入学は駄目だと言われて、カンカンに怒ったらしい。
それでかどうか、ドイツに帰国後は、対英戦争を主張する急先鋒になった。
子どものことが原因というと意外な感じがするが、実は案外大きな要因かもしれない。
「歴史の法則」 の前には個人の意見など問題ではない、という考えが染み込んでいる人には雑学的な面白エピソードにすぎない話だが、
私は、もう少しこだわってみたい。
もちろん、リッペントロップの主張が通ったのは、周辺にそういう情勢があったからだが、しかし、情勢の研究と、当事者の意識の研究は、車の両輪のごとく等しく重要なものだと思う。
歴史の結果は一つしかないが、そこへ行くにはいくつも分岐点がある。
分岐点の研究は将来に役立つ。
それを法則や原因で片付けるのは 「思考の節約」 であって、せっかくの前頭葉が泣くというものである。
『 「宗教とオカルト」 の時代を生きる知恵 』
谷沢永一(たにざわ えいいち) / 渡部昇一(わたなべ しょういち)
PHP研究所 2003年7月発行・より
[渡部昇一] 絶対にブッシュは口にしないけれども、彼は親孝行です
から、親の仇(かたき)をとりにいったと 私は見ています。
もちろん親の仇をとるためだけに、あれだけの戦費を使って戦争するわけにはいかないのだけれども、自分の父親が湾岸戦争であれだけ圧勝し、国連の条項に従ってイラクに攻め込みはしなかった。
そして、次の選挙で落選した。
ところが、フセインは負けたくせに 「俺は勝った」 と威張っている。
子供としては、こんなに腹が立つことはない。
そこに 9.11 の事件が起こり、アフガニスタンを叩くことにはみんなが賛成してくれ、イラクが変なことをやっているから 「しめた」 と行動に出たのでしょう。
4月9日 奈良公園にて撮影