「公」の日本と「私」の中国 | 人差し指のブログ

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「 徹底解明 ! ここまで違う日本と中国   中華思想の誤解が日本を亡ぼす 

石平 / 加瀬英明

株式会社自由社 平成22年7月10日 発行・より

 

 

 

石平   結局、中国人には公(おおやけ)の概念がなかった。

   

      論語にも、有名な話があるでしょ。孔子がそれを語っています。

 

       父親が羊を盗む話ですが、ある人が、孔子に、

      「私の友人は、郷里の正直者です。自分の父親が隣の人の羊を

      盗んだことを知ると、父を告発しました」  と語った      

 

 

加瀬   すると、孔子が怒るわけですね。

 

 

石平   それはいけないと、怒るんですよ!何よりも、孝が大事だ!父親

      がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない。

 

 

加瀬   論語に出てきますね。

 

 

石平   二つの大事な点があります。

      一つは、孔子が嘘をつくことを、奨励している。

 

 

      お前の父親が羊を盗んだとしても、嘘をついて、その事実を隠さ

      なければならない。

 

      もう一つは、孔子が公(おおやけ)を無視していることです。

 

 

加瀬   また、孔子は論語では、親が過ちを犯した場合に、子はこれを隠

      さなければならない、と説いている。

 

 

石平   そうそう、子が悪いことをした場合には、親も、それを隠さなけれ

      ばならない。

 

      孔子はそういうような、歪んだ孝と、親子関係を、提唱しているん

      ですよ。

 

      そのために、中国には、家族があって、公(おおやけ)がない。

 

 

加瀬   孔子は論語で、天子も過ちを犯すことがありうるから、その場合

      には、隠さなきゃならない、と教えていますね。

 

 

石平   そうそう、臣下も同じことね。

 

 

加瀬   だから、毒ギョーザ事件を隠蔽(いんぺい)してきたとか、天安門事

      件の真相を隠すということになるんですね。

 

      儒教国家としては、当たり前のことなんです。

 

 

石平   それは、大事な指摘です。中国に公(おおやけ)という概念がないの

      は、儒教の発想が根底にあるんです。

 

 

加瀬   中国では、皇帝の一大事の時に、自分の親が郷里で、重い病気

      にかかったら、皇帝のもとを辞して、親のもとに帰るのが、人の

      道とされたでしょ。

      朝鮮でも同じことでした。

 

 

      ところが、日本では蕃の一大事の時は、父親が臨終の床に伏し

      ていようと、藩主のもとにとどまって、藩の大事に当るのが、人の

      道とされました。

 

      (略)

 

石平   中国では、官僚は父親が死んだら、無条件に三年間の休暇をも

      らう。

 

      どんな重要な仕事についていても、仕事を放棄しても、構わな

      い。

 

      逆に仕事を大切にして、親元に帰らなかったら、非難されるんで

      す。

 

 

加瀬   ぼくはアメリカや、ヨーロッパで講演する時には、英語を使います

      が、孝を 「ファミリー」、忠は、公だから、「パブリック」 と、訳すこ

      とにしています。

 

 

      日本では歴史を通じて、パブリックをファミリーよりも、上に置い

      てきました。

 

       日本のほかのアジア諸国では、公よりも、一族を大切にしてき

      ました。

 

 

      なぜ、日本だけがアジアのなかで、19世紀後半に、西洋の帝国

      主義の脅威を撥ね返して、近代化を成し遂げたのかというと、国

      民が一丸となって、公を一族の上に置いたからでした。

 

 

      その意味では、日本はアジアよりも、ヨーロッパや、アメリカのほ

      うに近いんです。

 

 

 

 

 

 

 

                               東京駅 1月11日撮影